ケーティー

アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニングのケーティーのレビュー・感想・評価

4.4
引き算の発想の見事さ
企画倒れには終わらせない人間ドラマがある


この作品を劇場予告で観たとき、絶対に観たい!と思った。しかし、実際はどうなんだろう、後半が尻すぼみだったり観たら期待はずれかなという不安もあった。

本作のような奇抜な設定、SFファンタジー的なものは、予告だと面白いが、本編を観るとだんだんと終盤ネタ切れになって、味気ない終わり方をすることが多い。しかし、本作は違う。いや、むしろ、ラストで予告以上に盛り上がるのである。

こうした奇抜なネタものは、ひたすらギャグやアイデアを足し算していくことができるかにキーがあるとこれまでは思っていた。(実際、宮藤官九郎さんの作品などはそうしたつくりだろう。どんどんネタや人物を足していき、とんでもない渦をつくっていく)しかし、本作を観て、宮藤官九郎さんのような特殊なケースを除き、それは根本的な間違えであったことに気づかされた。

本作の企画・発想の最大のポイントは、引き算にある。映画のストーリーは、極めて単純だ。実際は見た目が変わっていないのに、主人公だけ自分の見た目が美人になったと勘違いして生活し、成功をおさめていく。しかしある日、自分の見た目が変わっていないことに主人公は気づき、次の人生の一歩を踏み出すというものである。普通であれば、見た目が変わることで性格が変わるという話をやる場合、「マスク」、「スパイダーマン」、「ハンサムスーツ」などなど、過去の名作がそうであったように、作品でどう変身させるかや、誰に変身させるかなど、設定・ディテールに拘ってきた。しかし、本作では、その変身をただ本人が思い込むという、言わば変身による容姿の変更そのものをなくしたのである。つまり、引き算の発想なのだ。本人が変身したと思い込むという極めて単純で、ある意味サイコな設定なのだが、それはなぜ変身したいと思うか、変身したと思い込むことで感情や言動がどう変わるのかという本質的な深いテーマに結果的に導きだし、それが映画のラストで感動につながっている。

ネタバレになるので詳しくは書かないが、ラストでやっぱりデブのままがいいなどと単純に開き直るオチになっていないのもいい。自分も頑張ろうと自然と思えるラストになっている。

また、本作のすごいところは、出てくる人がみんないい人なのに映画として、成立しているということだ。
序盤の世間の目は主人公に悪意を示す敵ともいえるが、それはメインの役ではなく、本作のような女性のサクセスストーリーにありがちな明確な敵役や「プラダを来た悪魔」のようなイビる上司は本作では出てこない。しかし、それでも、ストーリーは展開があり、成立している。

本作の悪役は、強いていうなら、主人公自身である。先に挙げたように、“美人になったと思い込む”という最大の失敗をしている主人公は、そのことによって、その前後で、自分自身の行動を妨害する最大の敵に時としてなる。ここで、本作の主人公の造形が綿密だなと思ったのは、主人公がネガティブな感情を持つがゆえ行動をおこさないのは、ともすれば反感やじれったさを感じて、観る側がイライラしたり、ストーリーが進んでいない印象を普通は受けかねないのだが、そこを、ここまでのことが起これば、落ち込まざる得ないだろうと自然と観客が思うよう組み立てられていて、無意識に感情移入できるのだ。そうしたネガティブな流れの背景の置き方や、また、そもそも観客が主人公自身を好きになる主人公のパーソナリティーの見せ方など、実にうまい。また、それを見せるシーンも説明的でなく、例えば、ワンシーンですべてを説明するのではなく(※作品によっては、この方法が効果的なケースもあるが)、綿密に積み重ねていく。序盤だと、友達と不満を言ってるダメな女と見せかけて、さりげなく動画アップを提案したりするところなど、後の行動の穏やかな伏線をしくあたり、実にうまい。

また、本作はギャグ映画でもあるのだが、ビキニコンテストの件など、ぶっとんだ設定(普通ならキモくなるんじゃないかとやめる設定)を入れつつ、キモくならないギリの線でやっているのもいい。これくらいぶっとんだ設定をまずはトライして、あとから、どう不快感を感じさせないようにするか等、映像のシーンとしてどう成立させるかを考える。この順序での発想が大切なことを教えてくれる。

とにかく本作は、テーマ・メッセージがあって、それでいてギャグ・コメディ映画としても面白い。そして、作りがシンプルで人間関係に集中して見れるし、ドラマもそこを掘り下げてつくられている。私は好きな作品だ。

※日本語吹替版にて鑑賞