140字プロレス鶴見辰吾ジラ

スカイスクレイパーの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

スカイスクレイパー(2018年製作の映画)
4.1
”ココ・シャネル”

「欠点は魅力の1つになるのに、みんな隠すことばかり考える。欠点をうまく使いこなせばいい。これさえうまくいけば、なんだって可能になる。」
by ココ・シャネル

過去のトラウマを背負った男。その片脚は義足。家族を愛する父という責任と正義の心は欠点を超越し、そして欠点に守られ、鏡張りのトラウマを乗り越えんとする。

9月はボンクラ映画が毎週のように公開されている。
「MEGザ・モンスター」
「ザ・プレデター」
そして
「スカイスクレイパー」

人は脚本の粗さや、バカバカしいアクションの数々を欠点と嘆くだろう。しかしその欠点こそ魅力であると、この地の滾るアクションが教えてくれる。

本作「スカイスクレイパー」はチャイナマネーに彩られた娯楽アクションであり、決して「ダイ・ハード」や「タワーリング・インフェルノ」に追いつくことなどできないと考えている。

なぜ追いつくことが必要なんだ?

ここで唐突だが、私が思っている邦画史上最高のアクション映画を紹介する。「名探偵コナン 天国へのカウントダウン」である。邦画のアクション映画に対するコンプレックスを乗り越え、飛び越えた傑作ではないだろうか?そして本作「スカイスクレイパー」は実写版名探偵コナンのアクションと謎解きを合成した新時代のキメラ的アクション映画なのだ。

そもそも地上1000メートルの高層ビルなどまともな神経ではなしえない設定を冒頭できりっと魅せる手法は劇場版コナンのアクションギミック設定に酷似している。そして並行的に主人公のトラウマと喪失、そして運命の人の出会いを手際よく映しているので、テンポは申し分ない。ファンタジーに近いコンピューター管理の超高層ビルの造形とファンタジーの如き存在感で圧倒するロック様が義足というハンディを装着し、嵐の前の静けさでつぶやく。

家族の何気ない会話に伏線を張りつつも、出てくるキャラクターのヴィジュアルイメージ自体を伏線にしつつ謎解きサスペンスのような今後の展開作りに引き込まれ、チャイナマネーに加えてポリティカルコネクトに傾倒したキャラクターにさらに謎解き要素が加えられる。今回の敵の名前が明かされたときの、その苗字であれば生まれはあそこで、それならばあの英語の訛り方は内通者であろうという予見の手繰り寄せが実は以外と丁寧に発展していく。高層ビル火災までのシークエンスの準備をしつつ、ことが始まればロック様の筋肉アクションの男らしきますらをぶりをところん発揮させるアナログな手法によるビルとの闘いを映し出す。崖登りを男のマッチョイズムを表す手法ならば、コンクリートジャングルに肉体1つで挑むロック様と、イカレた自体をかたずを飲んで見守る完成に報道ヘリに注目された主人公は、まさに現代のキングコングの擬人化に他ならない。限りなく人間に近く、限りなく野性的な人間であるザ・ロックだからこそできる素晴らしい肉体の上昇、そしてコンクリートターザンの飛翔のシーンは思わず息をのんでしまう。ロック様がここまで肉体を使いこなせる理由として、退役軍人の設定を皮切りに、妻の軍医設定をも含んだインクレディブルファミリーのような家族全員が肉体エリートであったことも設定上の伏線として浮かび上がる。

映画として詰め込みすぎるようなマイナス点でありながら、設定や内通者、そして強さの理由も冒頭に張った伏線で回収できる丁寧な作りがゆえに、テンポの良い配置と怒涛のコンクリートジャングル式アクションの展開は私を飽きさせない。そして本作を好きになってしまう高所落下の恐怖から生まれる「吊り橋効果」の連続は、死亡遊戯の如きSASUKEのマナーを使い、死と対極のヒーローの誕生と重なりアクション映画のフェロモンがにおい立つ。フェロモンと言えば、悪役サイドの中国女の圧倒的コミック的ヴィランヴィジュアルに速攻で股間もスカイスクレイパーを建設してしまった。「ブラックラグーン」の実写化を願いたくなるほどだ。

クライマックスはまさかのブルース・リーを髣髴とさせるアート映画を筋肉でこじ開けるような身分不相応なギミック。偏差値を急激に落としたような決着のつけ方に対して、ファンタジックな高層ビルにアナログなヒーローとその家族愛で打ち勝つようなワン・オブ・ゼムな落としどころに股間の摩天楼は静かに縮小していったが、今後の神をも越えんとする人類の愚行に対してのわがままのようにも思ってしまった。

何より欠点ばかり見てしまう映画飽和期の我々にとって、高級レストランのマナーやドレスコードではなく、ラーメン二郎のロッド乱さぬ、暗黙の映画リテラシーが人生を輝かせる1つの手なのではないだろうか?と問いかけられた気持ちにもなった。