もう何度見たか分からない。
湯屋はスタジオジブリの暗示か?
働かざるもの食うべからず。
すすたちのストライキもありつつ?
加えて、宮崎氏のインタビューにもあるように神々に尽くす性風俗施設でもある。
視聴者に尽くす、アニメーターの姿とも重なる。
各種映画賞を総ナメにしたように未だに極日本的世界が世界にうけるのかもしれない。
日本映画はいつまでたってもオリエンタリズムを抜け出せないのだろうか。
職場旅行する神々と湯屋のコンパニオン。
湯婆婆の部屋は西洋的世界、中国趣味様々な世界がごった煮になっている。
湯屋で繰り返される人間関係。噂。
仕事で結果を残して、友達を作る千尋。
辛い世の中でも生きなきゃならない。
その際、非力な彼女は礼と優しさで非情な世界を生き残ろうとする。
湯婆婆は女郎屋のやり手婆的存在。ジブリの中での権力者・鈴木敏夫さんとも重なる。
ハレの場としての湯屋。ケガレの浄化を目的。そしてケに戻る。だから中の人たちは血ケガレ、死ケガレ、ヨゴレを嫌う。
本当に自分の大切な人達の本質を見抜けなかった人たち。坊も湯婆婆も互いに見抜けなかった。
大切なものがすり替わったのに。子どもの本当の姿を見ていない。
モンスターペアレント、過保護。大きな赤ちゃん。引きこもりの問題ともつながる。
顔無し=インターネット、ニートの暗示。欲望のない少女を自分のものにしてアイデンティティを獲得する悪い大人の表象。労働によって立ち直る。
電車は三途の川の暗示。
どこかわからないどこか見覚えのある世界。精神世界。
窓に映る千尋と電車の千尋不安と強い意志が入り混じるカット。
信じていたもの(砂金)は全てニセモノだった。全て土くれだった。バブル経済の暗示。
労働勤労の美しさ、手仕事の美しさを問う。
魔法=機械やデジタル技術で作ったんじゃどうしようもない。
複製されたニセモノから抜け出す千尋。ブタは複製品だった。そして千尋は世知辛い世の中を二本足で立ち生きるようになる。
成長した千尋にとって、「複製された豚」を見抜くことは容易いことなのである。
アシタカよろしく、曇りなきまなこで世界を捉え物語は大団円を迎える。
THIS IS ジブリ。小さい頃には長く感じた映画が、大人になるとあっという間だった。
感じる時間が本当に違うのだろう。