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ドント・イットのkuuのレビュー・感想・評価

ドント・イット(2016年製作の映画)
3.5
『ドント・イット』
原題 A Dark Song
製作年 2016年。上映時間 99分。
復讐のため黒魔術に手を染めた女性を待ち受ける運命を描く、オカルトホラー。
アイルランド・イギリス合作。
ソロモン役にスティーブ・オラム。
ロリー・ギルマーティンとデビッド・コリンズ製作のもと、これが長編デビュー作となるリアム・ギャビンが監督・脚本を手がけた。

息子を殺されたソフィアは、黒魔術で犯人たちに復讐するべく、オカルト信仰者のソロモンを雇って自宅に招き入れる。
しかし拷問のような儀式は半年間も続き、もし失敗すれば魂を奪われるという恐ろしいものだった。

魔法の魅力のひとつには、それが持つ得体の知れない(完全に否定できない)力に由来する。
しかし、その力で科学を超えた宇宙の内部構造を知ったとて何が得られるやろか?
निर्वाण?(Nirvana?)
もし他の人がその知識を持っていて、我々が持っていなかったら何を失うんやろう?
人類が物語を語り継いできた限り、その力は驚異と恐怖のために行使されてきた。
ハリー・ポッターの公開を待ちわびる人々が、マントの格好をし、杖を持ち、何時間も行列に並ぶのはそのためなんかな笑。
しかし、それはまた、歴史を通じて人間同士を追い詰め、熱狂的なパニックの中で罪のない人々を拷問し、火あぶりにしてきたものでもある。
それはわからない故、否定しきれない故の恐怖やからやろなうなぁ。
アイルランド出身の映画監督リアム・ギャバンの監督デビュー作の今作品ほど、この2つの特質を簡潔明瞭に捉えた映画はないかな。
過酷な儀式を軸に構成された今作品は、見知らぬ2人が人里離れた家に数ヵ月間一軒家に閉じこもり、肉体的・精神的限界点を試しながら、それぞれに不可能な願いを叶えてくれる守護天使を呼び出すまでを描く。
余談ながら、今作品で行われる儀式は、アレイスター・クロウリー(イギリスのオカルティスト、儀式魔術師、著述家、登山家。オカルト団体を主宰し、その奔放な言論活動と生活スタイルで当時の大衆紙から激しいバッシングを浴びた人物)などのグノスティック(グノーシス派の人たち。ギリシア語の「知識」「認識」によって救済を得ると信じる、既存諸宗教とくにキリスト教の分派)が試みたオカルト儀式『アブラメリン・オペレーション』。
この儀式は、儀式を行う者の守護天使の『知識と会話』を得るためのものであるとされてる。
意外にこの点はリアルに描いてた。
キャサリン・ウォーカー演じるソフィアは、幼い息子を亡くした悲しみに溺れる女性。
手に負えなくなりながらも、息子にもう一度会うためならどんなことでもしようとするソフィアは、ダークアートの経験豊富なジョセフ・ソロモンを高額な銭で雇いいれる。
今作品の脚本も担当したギャヴィン監督は、冒頭から非常に重要なことを2つ明らかにしている。
暗黒魔法とまではいかないが、一歩間違えれば魂を奪われかねない種類の魔法と、そしてどちらのキャラも信用できない奴ら。
この監督は、登場人物の動機と道徳を常に把握できないようにしている。
ソフィアは氷のように冷たく、悲しみの底には云い知れぬ闇が渦巻いている。
彼女はまた、ほとんど即座に嘘つきやと証明される。
一方、ソロモンはもっと素直やけど偉そうでエロそう(これは余分だが結果当たってる)、少々ろくでなしで、彼の実績はせいぜい点々たるものやと思う。
ソフィアはソロモンに途方もない金額を支払っているが、支配しているのは彼であり、彼は一瞬たりともソフィアに支配下から逃れることを許さないし忘れさせない。
ひとたび呪術が始まれば、その支配は新たな闇の色合いを帯び、ギャヴィン監督は見事な手さばきで緊張感を高め、儀式の複雑で特殊で地獄のような要求を徐々に明らかにしていく。
なんか、SMの調教みたい。
これはB級召還系の映画ではほとんど見たことのないマジックやった。
床に描かれたチョークで描かれたグラフィックから、儀式を執り行う者の意図に至るまで、儀式の微細な要素ひとつひとつが素人目にはリアルに見えた。
んで、お話の中ではすべてを説明しなければならないソロモン。
どんな些細なミスでも、その代償は計り知れず、深まれば深まるほど現実から遠ざかっていく。
要するに、とてもとても難しいんやろなぁとは伝わる。
この辺りから、なんか呪術やら説明やらが長ったらしく感じ始めたのは否めない。
まぁ、ギャヴィン監督は限られた予算の中で独自の魔法を使い、彼らが不幸な住処とした古ぼけた家の狭間を渋く鮮明に撮影してはた。 
彼は余韻を残すショットに語らせ、横目での視線や微妙なディテールで陰謀の種を蒔き、ソフィアとソロモンはコントロールできないかのようやった。
また、リズミカルなスコアで見事な仕事をしており、まるで鼓動と一体化したかのように、脈を打ちながらスキップし、緊張の重いハンマーを胸に叩き込む。 
この映画の上映時間の大半において、無限の未知なるものの持つ輝かしい不確実性を捉えていた。彼はその可能性を最大限に利用し、現実の不安定な土台を築く。 
しかし最終的には、映画は何らかの答えを提示しなければならない。
解決に至った時、この映画の緊迫した物語と悪癖のような緊張感は緩み、成功したとは云えないまでも、より野心的で、より変わった作品へと変貌を遂げた。
オリジナリティは評価できる。
このような解決は見たことがないし、こんな映画は見たことがないから、結局のところ、今作品はホラー映画というよりキャラ・ドラマとして機能し、恐怖よりも驚きを選ぶが、たとえ目的地が望めなくとも、その旅路は絶妙やった。
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