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響 -HIBIKI-のステップのレビュー・感想・評価

響 -HIBIKI-(2018年製作の映画)
4.5
これほど感情が揺さぶられるのは-響-のメッセージ性のストレートさだと思う。一見「普通」じゃなかったり暴力的だったりする響の行動は、社会の考えを取っ払えば驚くほどに正しく痛快だ。けど、その響の考え方は自分の中の曲げられないものがあれば当然の行動で、それに対してカッコ良さを感じるのは観てる自分自身が飼いならされてるからなんだよね。一瞬で根拠のある行動を起こせる響は恐らくこの世で一番素直でまっすぐな15歳の女の子なんだと思う。賞を取ったという事に興味を示さなかったり、1人の人と向き合う姿勢は「あなたと話している」という言動から真に伝わると思うけど、みんながこう思ってるとか、客観的に見たらどうとか、そんなことは響にとっては何の価値もないんだろう。自分に対しても相手に対しても本当に一対一で接する信念は、ラストの記者や売れない作家と話しているシーンで強く表現されている。

「普通」ってなんだろう。それは社会がこうしなさい、こうすればトラブルはないんだからと形作った泥人形みたいなもん。これを観た人は必ず思うんだろう。これは天才の話だと。けどそれは違うんじゃないかなぁと思う。響のように社会の檻に入らず、書くことの楽しさだけを感じていれば、五月の風が木々を揺らす光景とも向き合うことができるし、社会をなんてものを考えずに表現できるだろう。その作品はきっと読んだ人誰もがその人の心に直接触れるような感覚を得れるはずなんだよねきっと。

お伽の庭は本来誰も書くことのできない作品。なぜならみーんなどかっかかしらで世間体やら社会の目を無意識に気にして表現するから。響は完璧な表現者として描かれたけど、そこを目指すことは現代ではとても大事なことじゃないのかな。だからこそ、この話はただのフィクションとして見流しちゃったら、それこそ何の意味もない。

建前とか世間体とかは確かに大事。けどそれを許さない響が教えてくれてるのは、一番大事なのは楽しむ気持ちをずっと持ち続けてることなんだと思う。楽しく始めても、結果が出ず焦ったり、過去の栄光にすがったり、社会からの評価を気にして、楽しむ気持ちを失ったら、心を揺さぶるものなんてできないってことなんだと思った。

とりあえず平手友梨奈の傑作がいつかできるなら絶対観たい。
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