ケンタロー

未来のミライのケンタローのレビュー・感想・評価

未来のミライ(2018年製作の映画)
4.0
児童心理の映像表現と物語をハイレベルに融合させた、だいぶサイエンス寄りに描いたSF作品。

これまでの細田監督作品に比べ、厳しい評価をされている作品でもありますが、それはズバリ「既視感」と「実体験」がジャマをしているのではないでしょうか。

この作品は、くんちゃんの成長を描いています!
なんてことを力強く言ったら映画を観た誰もが (゚Д゚)ハァ? 何をわかりきったことを言っているんだと思われるでしょう(笑)

ですが、私なりに考えた結果、この作品のテーマのうちの一つは、児童心理学と幼児期におけるメタ認知力の在り方なんじゃないのかなと思うのです。簡単に言うと幼児のココロをSFの…かなりサイエンス寄りで描いているんではないかと…。

くんちゃんの不思議体験のメカニズムについて考えを纏めてみました。

≪ 以降、ネタバレ多く含むので、ご注意を! ≫

くんちゃんの不思議体験とは何か?

まず、くんちゃんが不思議な体験や出逢いをする時というのは、決まってゴネてる時です。「好きくない」精神状態なわけです(笑)

そんなくんちゃんが不貞腐れて中庭に行くと、そこは別世界なわけですが……。この中庭から転換される世界というのは、くんちゃんの現実逃避を表しています。
ここで出会う人物たちは、皆それぞれ異なる人物ですが、実はどれもくんちゃんの深層心理として登場してると思います。

擬人化された犬のゆっこ
かつて同じ思いをしたであろう同志であり、同情してくれる理解者。赤ちゃん返りしたい願望は、くんちゃんの仔犬化で表現される。

未来のミライちゃん
保育園へ行く途中、恋愛話に花を咲かせる通りすがりの女子中高生のイメージを媒体にくんちゃんが創出。
未来から来たミライちゃんということが理解出来るよう、じいじとばあばがビデオ撮影中に気にしていたミライちゃんの手のひらの痣を判別するためのヒントに用いている。

赤ちゃんのミライちゃんと同時存在が出来ないのは、単にくんちゃんが赤ちゃんのミライちゃんを目で認識したら現実逃避世界(夢のようなもの?)から覚めてしまうからではないだろうか?

無意識にではあるがミライちゃんを協力すべき・守護すべき対象として見ている。これは兄としての自覚の発芽なんじゃないかな?
故に、くんちゃんは、お母さんの言いつけを覚えていて雛人形を片付けたのは、本当にくんちゃん一人だったともとれる。

子供の頃のお母さん
お母さんが見せてくれた昔のアルバムと思い出話を媒体に創出。
自身の暗黒面の象徴としつつ、お母さんも自分と同じ子供時代があったことを理解し、お母さんも自分と変わらない=自己承認へと昇華させることで、他者に対して一段階上のやさしさを身につけるに至る。

ひいじいじ
食卓でお母さんと、ばあばが話していたひいじいじのエピソードを媒体に創出。
乗れない自転車を諦めないという、今までの弱い自分との決別、精神的な強さと成長の象徴。

子供って、不思議なことないですか?
聞いてないようで聞いていたり…
見てないようで見ていたり…
わかってないようで、わかっていたり…

他のことに夢中だったり、気にしてないようでいて、意外としっかり状況や状態を把握している……。
大人が言った一言を思いがけないところで口にする。
そんな子供の神秘性がよく表現されてるって感じました。

自分と同じに寂しい思いをしてたゆっこ
巷の女子中高生のように成長したミライちゃん
アルバムの中のお母さん
昔ばなしに聞いた、寡黙なひいじいじ

このように、くんちゃんは一度は現実逃避世界へ逃げ込みます。
しかし、深層心理では、それではいけないと省みて、他者(お母さんや、ひいじいじ)の姿と力を借りて自身を導いてるように思えます。

故に、あの世界は、くんちゃんの現実逃避→葛藤→成長というプロセスの映像化だと言えます。

では、高校生くらいに成長した自分自身が登場するのは何故か???

未来のくんちゃんとの邂逅について
くんちゃんは少しづつではありますが、精神的な成長を遂げていくんですね♪とは言うものの、そこは幼児……(笑)
ほんの些細なことで機嫌を悪くすれば、またすぐに駄々っ子に逆戻りです(^_^;)

お気に入りの黄色の短パンが履けないならキャンプは行かないと駄々をこねて困らせる…かまってちゃん発動です。

でも、これは観ている自分たちも幼児期には一度や二度では済まされないくらいにやった覚えがあるんじゃないでしょうか?(笑)
まさに3歩進んで2歩下がる感じで、子供の成長とは日進月歩とはいかないのだと痛感させられます……。

さて、キャンプ拒否を断行したくんちゃんは中庭の別世界から、今度は成長した自分自身と思しき青年に出逢い、強い口調で諭されます……。

今までは、他者のイメージがくんちゃんの精神的な成長を促す役割で登場しましたが、今回は自分自身です。
これは、深層心理において、くんちゃんが自身と向き合う必要性を認識したためだと思われます。いわゆる「メタ認知」です。

メタ認知とは、簡単に言えば第三者的な視点、俯瞰で自身の思考や行動を捉えてコントロールすることです。幼児期においては平均5歳頃からメタ認知力というものが表れるそうです。

くんちゃんは4歳、妹の誕生を機に精神的な成長が促進され、メタ認知力が発生しだしたと捉えてよいと思います。
しかし、突如表れた大人の自分をくんちゃんは受け入れられません……。その場から逃げ出します。逃避の中でのさらなる逃避行動で自閉モード突入です。好きなもの(電車や新幹線)に囲まれた逃避の極地ですね(^_^;)

未来の東京駅のシーン。このあたりは、さながら不思議の国のアリスやピノキオの冒険、オズの魔法使いなんかを連想させられました。

くんちゃんは、実のところ今のままではいけないってことはわかっていますから、そのきっかけとして、ミライちゃんのお兄ちゃんであることをきちんと受け入れることで、大いなる成長を遂げることになります♪

「未来のミライ」とは何か?
本作品を一言で言い表すのであれば、それは「児童心理の映像表現 〜幼児期における空想世界の映像化〜」とでも言いましょうか。
幼児期(3〜5歳くらい)において、ヒトはいかにして心の成長を図るのか?
そのメカニズムが見事にくんちゃんの家族の物語とくんちゃんの空想世界として映像化されていると思います♪

くんちゃんが逃避や内省のために行う空想。
その空想が果たす役割について、心理学者の村田孝次氏が著書「児童心理学入門」で3つの指摘をされています。

第1に、空想は、大人の世界の複雑な情報や技術を遊びを通して身に付けることを可能にする。大人が子どもにかける期待、子どもに与える情報や技術は複雑であり、そのままでは子どもは受け入れて身に付けることができないものが多い。しかし、子どもはその空想力によって、そのような大人からの経験を遊びの中に表現することを通じて、断片的にこれらを取り上げ、次第に自分のものにしていくことができるという。

第2に、空想は、阻止された欲求や感情などを満足させることを可能にする。空想は、子どもの欲求を解消させる想像活動である。ある動機を直接的に表現することが阻止された時、その動機をさらに働かせるための1つの方法が、空想を利用することである。空想によって、阻止された感情・動機を満足させることができると考えられる。

第3に、空想は、望ましい人格を発見し、自ら形成するための良い機会を与える。子どもが英雄的な人物、親、友達、あるいはペットなどとして自分を空想する時、子どもはそこにあるドラマを作り出す。こうした空想ドラマが子どもに自己を見つめさせ、その性格を評価させ、好ましいと思う人格を発見させる多くの機会を与えることとなる。

どうでしょう?ここで論じられていることはまさに「未来のミライ」くんちゃんの不思議な体験と重なります(^^)

3〜4歳の頃の記憶というものは" 誰もが " はっきりとは覚えているものではありません。言わば記憶にない記憶です。

それでも、うっすらと覚えていないでしょうか?
はじめて一人で、おつかいに行った時のこと。
はじめて一人で、お留守番をした時のこと。

不安や恐怖を打ち消すために、傍らの大好きな人形やぬいぐるみに話し掛けたり、テレビで活躍するヒーローになりきったり、自分と一緒にいることを空想したりしなかったでしょうか?
" 誰もが " くんちゃんと同じように、空想世界へ逃げ込み、内省や葛藤を繰り返し、少しづつ成長してきたのです。

だから、「未来のミライ」は評価が分かれるのだと思います。これまでの細田監督作品に比べると、面白くないとか……。

それはなぜなら、" 誰もが " 既視感と実体験としての経験を持ちあわせているからだと思うのです。幼き頃に自分自身が見た空想世界の方が、インパクトが強いのかもしれませんね(笑)

私は、とても面白く感じ、楽しめましたけど♪

子を持つ親や兄妹がいる者であれば、劇中の様々なシーンに共感を抱くでしょう。でも、この作品は本来 " 誰もが " 共感できるのです。

" 誰もが " 子供であったし、くんちゃんのように少しづつ成長してきたのです。そんな子供の頃の自分への回帰は、親や子供、そして自分自身への愛情と優しさを再認識させてくれるのではないでしょうか?

そんな思いや気持ちを循環させていきたいですね♪