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15時17分、パリ行きのnetfilmsのレビュー・感想・評価

15時17分、パリ行き(2018年製作の映画)
4.0
 2015年8月21日、オランダ・アムステルダム。ヨーロッパ旅行を楽しんでいたサクラメントに住む3人の若者たちアンソニー・サドラーとアレク・スカラトス、スペンサー・ストーンの3人の青年は、ヨーロッパ最後の目的地パリへ向かうため、15時17分発の高速列車タリス号に乗車する。映画はテロリストの同乗する列車に、たまたま居合わせた3人の若者と1人の英国人男性がテロを未然に防ぐ物語であって、それ以上でもそれ以下でもない。2014年の『アメリカン・スナイパー』や2016年の『ハドソン川の奇跡』同様に、リアル・ヒーローの物語を描いた映画だが、肝心要のテロ事件の場面はラストの20分間と、フラッシュフォワードによって僅かに出てくるのみである。では94分という尺の大半はどこに時間を割いているのか?それはサクラメントに育った市井の人々の何の変哲もない生い立ちである。シングル・マザーの家庭で育った2人の少年はADD(注意欠陥障害)ではないかと先生に言われ、母親たちは猛烈に怒り、まるで『ダーティ・ハリー』シリーズのハリー・キャラハンのように部屋を出るなり振り返り、体制側の人間に対して痛烈な罵声を浴びせる。カトリック系の学校で生まれ育った2人は、愛国者として強いアメリカを夢見ているのだが、パラレスキュー部隊に志願したスペンサーは、奥行き知覚検査に引っ掛かり、落第生の烙印を押されてしまう。

 15時17分発の高速列車タリス号に乗った3人の道程には、このスペンサー・ストーンの挫折が深く関わっている。1人は母国アメリカ、もう1人はアフガンの戦地へ、離れ離れになった3人をスペンサーのヨーロッパ旅行の提案が繋ぎ止める。人は何か大きな運命に導かれているという主題を伴ったイーストウッドの映画と言えば、真っ先に2010年の『ヒア アフター』が思い出される。フランスの女性ジャーナリストのマリー(セシル・ドゥ・フランス)、イギリスの双子の少年の片割れマーカス(フランキー・マクラレン&ジョージ・マクラレン)、アメリカ人ジョージ(マット・デイモン)が臨死体験から、ロンドンで出会うことになる信じられない奇跡のような物語は、今作と同工異曲の様相を呈する。イタリアで女と出会い、多幸感を抱えたままドイツへ。フランス行きを予定しながら、アムステルダムに行ってごらんと年配の老人にアドバイスされた3人は、当初予定していたあまり印象の良くないパリ行きを決意する。そこで偶然にも3人はテロ事件の渦中に身を投じることとなる。

 今回のイーストウッドの試みは、子役時代以外に職業俳優を起用せず、アンソニー・サドラーとアレク・スカラトス、スペンサー・ストーンという3人の若者に、2年前に起きた事件を思い出しながら、脚本に合わせて演じてもらうことだった。当日と同じ服装で、アムステルダムからパリまで乗り合わせた車両も全て同型を使った物語は、もはや演出するまでもなく、3人の重要な登場人物たちがそこに実在するという強みを持つ。原作に登場した自動小銃AK-47とドイツ製のルガー・ピストル、それにカッターナイフを所持するテロ未遂犯の生い立ちや犯行動機はまるまる破棄され、運命に導かれし3人の市井の男たちの一生忘れられない瞬間を再現する物語は、前日まで何も達成していない若者をある日突然輝かせる。まるで晩年のマノエル・ド・オリヴェイラの映画のようなヨーロッパ旅行の牧歌的な快楽、そこに亀裂を走らせるテロの恐怖。現実とフィクションの境目を曖昧にする物語は、フランソワ・オランド元大統領が現れたところで頂点を迎える。デジタルの間に挟み込まれた粒子の粗い映像はおそらく2年前の報道用映像なのだが、それをイーストウッドは映画のトリックを駆使してあたかもシングルマザーたちが5人並んだ表彰式を見つめているかのように繋げる。その軽やかな手捌きに『許されざる者』や『ミスティック・リバー』を撮っていた頃の重量感はなく、ただ軽やかに肩の力を抜きながら、事件のあり様を見つめるゆったりとした巨匠の姿がある。
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