湯呑

15時17分、パリ行きの湯呑のレビュー・感想・評価

15時17分、パリ行き(2018年製作の映画)
4.7
パリへ向かう新幹線の車中、ショットガンを持ったテロリストに丸腰で立ち向かい、多くの乗客の命を救った3人の男たち。彼らはフランス大統領から勲章を授かった後、母国アメリカへ戻りパレードでその英雄的行為を称えられる。しかし、そのパレードを皮肉な視線で見守る男が1人いた。何を隠そう、この映画の監督クリント・イーストウッドその人である。
そもそも、銃を持ったテロリストに丸腰で飛びかかる事が、こうした緊急事態において懸命な選択だったのか、意見の分かれるところだろう。しかも、犯人に飛びかかったアンソニーは米軍に在籍しており、無防備状態で敵に襲われた際に取るべき行動も教練で学んでいるのだ(実際、彼はその教練中に同じ様に無鉄砲な行動を取って教官にバカ呼ばわりされている)。
軍人たるもの、その任務中にはまず確実に安全な行動を選ぶべきなのであり、するとアンソニーの選択は完全に誤っていた事になる。イーストウッドは、彼らの中学生時代にまで遡り、その頃から彼がずっと誤った選択を取り続けていた事を示す。教師に教室に入る様に指示されると、それを断って校長室に呼び出される。校長から決して近づくな、と言われた校内一の問題児と友達になる。
しかし、この誤った選択の積み重ねが無ければ、彼らが成人になってからヨーロッパ旅行を共にする程の親友にはならなかっただろうし、テロリストを取り押さえる事もできなかっただろう。徹底して誤っていた事によって英雄が誕生する、そのアイロニカルなプロセスを、イーストウッドは当事者本人に演じさせる。そこから浮かび上がってくるのは、人々をある目的に向かって駆り立てる、より大きな存在である。
人々が安心して需要できる英雄譚になど、イーストウッドは興味が無い。映画は、全てが終わったパレードから遡行する形で真に語るべき物語を立ち上げる。
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