このレビューはネタバレを含みます
ベン・ウィショー目的で行ってきました
演目の内容も、俳優陣の演技も完璧だったからこそ、今作「ジュリアス・シーザー」は好き嫌い分かれると思う
そして、今作が好きである自分には、当時生の舞台を見に行けなかったことを嘆くしかできません
ただ、個人的には画面で観れたからこそ良かったと思うところもあります
(大きな音とストロボに酔うので)
観客を「ローマ市民」として強制参加させながら展開されていく今作
「舞台はナマモノ」感を最高に味わえる作品です
印象的だったのは、アリーナ席の観客に若い人が多かったこと
かつ、「ノれてないもいた」ということで、多分、ノれてない人はちゃんと「演劇」が好きな人なんだと思う
これは完全に好みの問題であって、良いとか悪いとか古いとか新しいとかじゃなくて、肌に合うか合わないかの差であって、それほどまでに「今までにない舞台」でした
事前知識やパンフレットに目を通してない状態で、「なぜあの舞台装置だったのか」について考察します。
ものすごい危険な舞台でした
場面転換は多いし、小道具や装置も多い
なによりも危険なのは、観客を作品の中に巻き込めなかった時点で失敗する演出だし、観客の中に演者が紛れてるのでちゃんと進行するかも賭け
ただの「LIVE感」のためならあんな装置必要ないでしょう
モダンアレンジしてる時点で時代を埋め合わせる必要もない
だとするなら、考えすぎなのかもだけど、観客自身に「人は感情に支配される生き物であることを実感させるため」なのかもしれません
この演目は「裏切り」か「正義」か、「憎しみ」か「友情」かというところが基板で、登場人物たちはみんな自分は正しい行いをしていると信じている。
そして、いかに正しいかを観客に語りかける。
それが法としてなのか、情としてなのかの違い
ローマ市民の役柄を与えられた観客はきっと役者が語りかけてくるたびに、目の前の役者に感情移入してしまう
それほどの熱演だったし、演技も演出も凝っていました
だから、開幕から終演まで、様々な役者に語りかけられて、感情がごちゃごちゃになっていく。
誰もが真実と本心を語っているからこそ、場が混乱していく。
演目に入り込むほど、五分前まで感情移入してた登場人物の主張を覆すことになる
途中、名前が同じだから、という理由で間違われてリンチに会うモブがいる
観客席(立ち見だから席はないけど)の中で行われるのがエグくて、そのシーンに対して「演劇でそこまでやる?」というような、観客としての視点を忘れて何とも思わないようになった時こそ、あの舞台に魅了されて、まんまと演出に組み込まれた証拠であり、「ローマ市民」になった瞬間なんだと思いました