ーcoyolyー

それだけが、僕の世界のーcoyolyーのネタバレレビュー・内容・結末

それだけが、僕の世界(2018年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

「それだけが、僕の世界」すごい!WOWOWメンバーズオンデマンドのスチール写真がちょっと気になって配信5月末までだし、私最近の韓国映画も観てなければイ・ビョンホンが出てる映画も観たことないなと何気なく見始めたんだけどこれがもうすごい!まずカメラワークがすごい。構図、カット割、そして編集テンポがとても良い。見やすい。何を見せたいかの意図が計算され尽くされてて、でもこれ見よがしではなくさりげなくてすごい。恐ろしささえある。「ザ・ロイヤルテネンバウムズ」に見せ方近い。
それでドラマチックな要素や過去を持ってる人間の日常がちゃんと日常で良い。いつもいつまでもいつであってもドラマチックであるわけではなくて、ドラマの裏に膨大な日常を、自閉症であっても、義足であっても、DVサバイバーであっても、良くも悪くもチンケな日常をチンケに生きなければならない。チンケな日常を過剰にドライでもウェットでもなく適温で最後まで破綻なく描き続けるうまさがすごい!この適温って本当の「リアル」ではなくて映画として成立する映画としての適温。冴えないけど見てられない、というほどでもない塩梅に大変丁寧に絞り込んでその温度を保つってものすごい難事業だと思うのですが、それもさらっとやっててすごい。

街角でベートーヴェンの月光を弾く、そこから物語が大きく動く。ベートーヴェンなんだからそうもなるわ、とスムーズに場面転換が起こる、これはお見事。そこからしばらく完全に「ピアノの森」になるんだけど、カイくんが見目麗しい美少年ではなく自閉症の自閉症ぽい外見を持ち自閉症ぽい動きをする男性なのでやってることは「ピアノの森」でちゃんと阿字野先生的なポジションに阿字野先生的に収まってる人までいるのに「ピアノの森」とはだいぶ見てる方のトーンが異なる。真ん中でスポットライトを浴びているのが見目麗しくて聡明なカイくんじゃないから。事情を持つ天才なのは一緒なのに彼と接点を持たない聴衆の受け取り方が全然違う。カイくんの場合は正統な「スター誕生」だけどこの作品内ではあくまでも「感動ポルノスター誕生」でしかない。
この映画、感動ポルノのスターとなれる逸材が24時間テレビ的な感性に発掘されるまでの前日譚とも言えるんですけど、天使じゃなくてちゃんと扱いづらくてクソも漏らして世間からは腫れ物扱いされてることもちゃんと描いてる。全部ちゃんとしている。だから大家の娘がこのごゆっくりさんに普通に接してるのを見て「この子根はいい子だよな」とわかるようになってる。

実はこの映画も全部お伽話でしかないんだけど自閉症の人をちゃんと演じられる人が出てくると「リアル」と錯覚してしまう観衆の感性を逆手に取ってる。お伽話なのにお伽話と思わせない作り手がすごい。空港で流れるTVから弟の姿を見かけたイ・ビョンホンはきっと空港のカウンターでキャンセルしたチケット代を払い戻し受けられるか相談してその時点で最大限受け取れるものは受け取ってから駆けつけてきてるんだろうな、というリアルさが描かれてて良い。物語のクライマックスでそんなことどうでもいい、ではない。ちゃんとアンチクライマックスの人間の姿がある。物語がお伽話でもそこに生きている人たちはキャラクターじゃなくてちゃんとリアルに生きてる人としているのが良い。

私はお姉ちゃんなので、病室でお母さんと話してからそこを出る時のお兄ちゃんの寂しさに泣きそうになっちゃった。弟の持つ事情を考えるとお母さんが弟を選ぶのは理解できる、そうするしかないんだろう、とわかる、けど、それはそうだけど自分の寂しさというのはじゃあどうすればいいんだ、というのもある。

私は誰の「一番」にもなったことがなくて、周囲の人みんな私以外に一番大切にする人がいて自分が最優先されるということがなくて、口では「そんなことないよ」と言いつつもいざという時にやっぱり私は放って置かれて、という経験ばかりなので、耐え忍ぶイ・ビョンホンの報われなさに涙ぐんでしまった。きっと第一子を救うのは傷を舐め合える第一子だけ…世界で一人だけでいいから誰かの「一番」になりたいな、と今日も叶わぬ夢を見る。

なんでこの映画日本で全く話題になってないんだろう…イ・ビョンホンが劇中でいじられるくらいイ・ビョンホンではなかったからなのだろうか…これが全く話題にならない現代日本の荒廃した精神性の貧しさだけが虚しく残るな…傑作!と叫ぶより佳作、と噛みしめたいとても良い映画でした。

今の韓国映画って前世紀末の香港映画みたいなポジションなんですね完全に。ちゃんと掘ってみよう
ーcoyolyー

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