ぺむぺる

ドラゴンボール超 ブロリーのぺむぺるのレビュー・感想・評価

2.0
正直言って「くだらんおべんちゃらはよせ」といったレベルの映画なのだが、これほど人気の高い本作について「これぞ見たかったドラゴンボール」などと言われてしまっては、わたしが幼年時代より人生の一部として享受してきた「ドラゴンボール」が実は幻の産物にすぎなかったのではという一縷の危惧と、いやいや流石にそれはないので単に自分が「昔はよかった」老害に成り果てている…すわ、そんな不安を抱かせる作品である。

ここには摩訶不思議アドベンチャーの心躍るワクワクも、HEAD-CHA-LA(頭からっぽ)になるほどの恐怖と絶望も、なにもない。あるのは、のっぺりとした空気感。どこまでも危機感のない、仲良しごっこの世界である。

角を折られた宇宙の帝王、ヘタレを克服してしまった誇り高き王子、白痴化が進む我らが主人公…いや、この際キャラ変についてはどうでもいい。新時代のドラゴンボール(超)において登場人物の様相が変化するのは当然のことであり、それが面白いかというと首を捻りたくもなるのだが、きっとこの時代に合ったキャラ設定がなされているのだろう。だからこそ新作が作られうるという価値のほうがはるかに大きい、と個人的には思いたいところなので何も言うまい。

しかし、流石にストーリーに関してここまでフラットにされてしまうと…。本当に皆これを面白いと思っているのだろうか。前半は〈サイヤ人とフリーザ軍の因縁の歴史〉といえば聞こえはいいが、絵的にも話的にも深みのない退屈そのものの前日譚。ここで人気の高いTVスペシャル「たったひとりの最終決戦」ではなく「DRAGONBALL- 放たれた運命の子供」という知名度もなければ出来も悪い、読切マンガの設定を引っ張ってきたのは理解に苦しむ。バーダックやベジータ王に親心など不要。「全宇宙一の強戦士族」は地球人とは徹底的に異なる価値観を持っているのが面白いのであって、またそうした愛情とは別の次元で託される運命が感動的なのに、安直な倫理観でいい子ちゃんな話を描いてどうする。

そんな中、狂戦士ブロリー誕生の背景も語られるわけだがこれまた安直。「カカロットォォォオ」のトラウマも、新惑星ベジータといった大仰さもなく、ただ親父とふたり宇宙の果てで遭難してただけ。そもそも、ずっと時系列に沿ったストーリー展開というのも安直そのものではないか。こうなっては、「〇〇年前」というテロップのフォントすら安直に見えてきて苛立ちを覚えてしまった。本作はすべてが安直のうえに成り立っている。

後半は怒涛のバトルシーンで確かに迫力はあり、多くの人が「これぞドラゴンボール」というのはここがそうなのだろうと思われるが、極度に絶望や悲愴感を退けたそれはまるでスポーツかなにかのような爽やかさ。「GO、GO、ブロリー!」といった闘い中のコールが、一層緊張感のなさに拍車をかける。ここで焦点になっているのは、〈地球の危機〉でも〈積年の恨み〉でもなく、単純に〈強えのはどっち?〉であり、はっきり言って「知らんがな」の世界である。戦闘スタイルの変化や作画の妙、CGの目新しさを味わいたい御仁にはたまらんのかもしれんが、わたし個人としてはそれほど興味がないし、こうしたところが「これぞドラゴンボール」だとは到底思えないのだ。

デデーンが素晴らしいとは思わない、「一人用のポッドでかぁ?」が最高だとも思わない。ただこうして煽られる恐怖や絶望の抗いがたい魅力と、その先に見出すかすかな希望の光こそ「ドラゴンボール」の真骨頂であり、それを前にすれば〈強えのはどっち?〉など愚問中の愚問であろう(あのベジータもそう言ってる)。そんなことは物語が続く限り決して明かされることのない命題として、孫悟空(notカカロット)の魂の中に刻まれてさえいればいいのである。
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