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1987、ある闘いの真実のotomisanのレビュー・感想・評価

1987、ある闘いの真実(2017年製作の映画)
4.0
 待遇改善や賃金の要求でさえ政治的背景を問われ、北朝鮮の手先として公安警察に逮捕されてしまう。それがもとで父親が死んでしまったヨニはもう政治絡みな事は真っ平。なのに、ソウル大生の拷問死を隠す公安に目を付けられた伯父が捕まるし、巻き込まれデモ以来一緒になってしまった延世大のハニョルはデモのさなかに死んでしまう。
 最後まで民主化運動の表に立つ事のなかったヨニのような、ただ泣いて現場に向かって走って行っただけの人たちがどれほどいたんだろう。思わずデモ隊の壇上に駆け上がったヨニはあの高みに着いてどうしてゆくんだろう。
 この半年後には直接投票による大統領選挙が行われるが、参政権を回復した民主化活動家候補3金に票が割れ、大統領になるのは、独裁臭の沁みついた全斗煥の与党の候補、盧泰愚。それでも、日本から眺めると民主化は慎重に慎重に進んでいくように見えたのだが。

 このヨニだけは架空の人であるらしい、対して公安警察の処長、拷問班の班員、物語の発端となる拷問死事件の被害者ソウル大学生、その件で公安に面子を潰され意地で解剖を強行し辞任する検事、解剖所見をすっぱ抜く記者、拷問死の罪を着て家族の安堵を求める公安署員、投獄された記者に外部との伝令として便宜を図る看守、公安のごり押しを法規の逸脱と咎める看守長、教会や寺院に身を寄せて民主化運動を動かす地下活動家、結局ヨニの手をすり抜けてしまったハニョルまで実在の人であるそうだ。
 実在の彼ら、公安部員たちは逮捕され、彼らをかつて咎めた看守長に今度は身柄を預けられ、彼らによって辞任に追い込まれた検事は弁護士として彼らの前に現れる。彼らが受けるのも因果応報という事のようであるが、では彼らをそこまで駆り立てたのは、単に彼らが公安部員で、むかしからの習性だからなのか?単に民主化運動の高揚が彼らを締め上げて追い込んでいった反動だけなんだろうか?

 上向く経済とヨニの父親が受けた労働運動の圧迫の影には、労働運動もそれを後押しする民主化活動も共に毛嫌いする財閥をかしらとした経済界と全政権のつながりがある。経済界からは多くの政治資金の流れもあったろう。公安が事ある毎に持ち出す金がそうした事を示唆するようだが、そうした背景を含めて、急速に高まった民主化活動と容共の見極めがつかないまま何の証言が欲しくて拷問死をまねくのか?公安部の真摯な取り組みなのだろうが、どこか錯乱染みた様子はもう少し説明が欲しかった。
 そしてもうひとつ、映画の一連の事の半年のちに盧泰愚が政権を得はしたが直接投票の大統領選挙が叶った。与党による不正も取りざたされているとしても、盧泰愚の得票は36%。そこまでこぎつけた事は成果として感じられているのだろうか。1987年の最大の成果としてそれを想像していた日本人の余所事に過ぎないのだろうか。
 そのようなところから、社会の変化に促されて起き、さらに社会を動かした巨大な殺人事件の顛末という感じに納められたこの物語に、民主派候補の一本化など対応の困難なまま僅か半年で迎えた大統領選で与党への敗北を招いたという点で、却って、何かをあのとき仕損じてしまったのかもしれないとの苦い思いが秘められたような気がしてならない。
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