トンボのメガネ

万引き家族のトンボのメガネのレビュー・感想・評価

万引き家族(2018年製作の映画)
3.0
※他ブログからの移行

先日TVで見た後に言いようのないモヤモヤに襲われた。
リアルな内容過ぎるからなのか…
逆に偽善的で嘘くさいからなのか…
多くのレビューを読み、この作品に対する高評価への違和感がどうしても拭えなかった。

確かに、社会的弱者のてんこ盛りみたいな家族で、一見リアルではないかもしれない。だが、一つ一つを切り取って見れば、実にリアルで…その鼻をつくような生臭さに、不快感と言いようのない虚しさが込み上げてきた。

脚本のリアルさとは裏腹に、実生活は作中の弱者とは程遠い俳優達が、技量の見せ所と意気込む姿が酷く滑稽に映り、更に不快感を呼び起こす。
子役の自然な演技と並ぶと、それが際立っていたように思う。それを感覚的に感じ取った人達が、反動的に低評価をつけているようにも感じた。

恐らく、映画館で是枝作品を観る層はクリエイター志望の人間を除けば、社会的弱者とは程遠い人達であると思われる。

所詮は他人事、実態感がない故の大絶賛であり、海外での受賞に歓喜しているのではないか?

正直、賞賛を浴びながら、煌びやかな装いでカンヌに乗り込むキャスト達の様子が、とても気持ちが悪く感じた。
それがモヤモヤの原因かもしれない。

この映画を見て思うことは、本当の家族愛云々よりも、治と信代が犯罪を犯しながらも、なぜ子供達に愛情を持てていたのか?

逆に愛情を持っていたのに、なぜ子供達に犯罪を共有できていたのか?
学校に行けず、誰にも手を差し伸べて貰えないまま成長した子供達の姿が、そこにあり、犯罪でしか繋がりを保つ術を持てない弱者であるという残酷な現実が、そこにある。

もはや、彼らを救うことで解決する次元を超えた時代に入り、彼らを弱者と言わしめる社会のシステムに問題があるように思えてならない。

ドキュメンタリーを撮り続けてきた監督は、どこまで予測して作っているのだろうか?
低評価の意味も見越して作っているとしたら、なんて意地の悪い監督なんだろうと思う。

是枝監督は、この作品をどんな意図があって作っているのか?問題提起としての役割は果たしてはいるが、その先に何が生まれたのだろうか?

リリーフランキーが、受賞式のインタビューで監督にパルムドールを取らせてあげたかったと応えていた。
なぜ、そう思うのか?
是枝監督はなぜパルムドールが欲しかったのか?

そこが、この映画の評価の決め手になるのではないだろうかと思う。