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ロジャー・ウォーターズ/ザ・ウォールのDのレビュー・感想・評価

2.9
特に終盤のピンクフロイドにおいてほぼ独裁的権力を握っていたロジャーウォーターズによる、ピンクフロイドの『壁』ライブ。
壁はピンクフロイドの作品の中でも最高傑作の一つであると言えるし、Comfortably Numbなんかはロック史に残る名曲といっても過言ではない。

ただこの作品自体はそこまで出来のいいものとは思えない。

まず、ロジャーのライブがメインだという点。ピンクフロイドの他のライブのmarkにも書いたが、僕はシドバレットが抜けてからは、ずっとギルモアの泣きながら愛撫されているようなギターと、死ぬ直前に逞しい腕で優しく包み込まれるような声に心底惚れ込んでいる。包み込まれた腕の中は無限の奥行きがあって、目を瞑るとその中で浮遊しながら、あるいは溶けながらイかされる。
そもそもギターに深い感情があることを教えてくれた人の一人がギルモアだからなあ。
要するにそれ抜きにピンクフロイドの楽曲を聴く気にはあまりなれないのである。最後に共演してて嬉しかったけど、やっぱり僕にとってのピンクフロイドはギルモア(とシドバレット)なんだなと思った。ロバートフリップやトニーレヴィンのキングクリムゾン、ウェイクマンやブルーフォードのイエス、エマーソン、レイク、パーマーのELP、これまたブルーフォードやアランホールズワース(一番好きなギタリストです)のUKやソフトマシーン、ピーターやスティーブハケットのジェネシス、ジェスロタル、キャメル、ジェントルジャイアントなど、とんでもない超絶技巧派が集まったプログレバンドがイギリスにわんさかいる中で、ピンクフロイドはやはり落ち着きという名の異彩を放っていたと思うんだけど、その「椅子に腰掛けてゆっくりと落ち着いてやっている感じ」はギルモアがいたからこそのものだろう。
そんなわけで、ギルモアなしのピンクフロイドには正直一切惹かれないのが僕だ。

そしてもう一つはロジャーの思想。彼は昔から左翼的思想を持っていて、特に社会主義者を自称している。彼以上に左に寄った思想を持つ僕にとってこれは問題ないどころか嬉々とすることが期待される事実なはずだ。なのに僕はロジャーの思想は強く批判すべきだと思っている。
というのも、もうこの時代のロジャーは完全に陰謀論者に成り果ててしまっているのだ。その最たる例は彼のホワイトヘルメット批判である。
シリア内戦において戦傷者の救助などを目的とした非営利団体「ホワイトヘルメット」。この団体はずっと陰謀論の的となっていて、ロシアの右翼からもアメリカの右翼からも嫌われている。ナショナリズムとネオリベがタッグを組んで世界を蹂躙している現代社会では、右翼の陰謀論は強烈な威力を持つし、大衆は労働と貧困によって考える暇と余裕を奪われることで、陰謀論の信奉者・拡散者となってしまう。
なればこそ左翼が戦うべきは、そのような地獄を生成し、甘い蜜を吸っているあらゆる権力者・為政者であり、非営利団体ではないはずだ。
それなのにロジャーはホワイトヘルメットをフェイク組織と断定し、バルセロナのライブで大声で痛烈批判をしていた。これは右翼のあらゆる罪をアンティファの工作だと言っているペイリオコンやオルトライト、プラウドボーイズなどと一緒じゃないか。ちなみにロジャーの発言はBBCラジオで大きく取り上げられて特集まで組まれて批判されまくっていたよ。情けない。そのラジオを通してロジャーの当該の発言を聞いたけど、擁護不可能だった。そしてこのライブを観たわけです。観るのしんどかった。
だいたい社会主義左翼名乗っておいて自分のバンドで独裁をやるなんて馬鹿らしい。この時代のプログレロックバンドはそういうの多いけど、「だから長続きしないんだよ」なんて思っちゃう。どれも大好きなバンド・音楽ばっかりなんですけどね。
レディオヘッドがイスラエルでライブやった時もロジャーはひたすら批判してたんだよな。これも芸術家としてあるまじき態度だと思う。

そういうわけで、僕の中でのピンクフロイドは『壁』でほとんど終わっていた。そして『Division Bell』で完全に終わり、それからギルモアの「孤独を肯定してくれる音」と近いものを探して音楽の宇宙を放浪し始めて、たくさんいい音楽に出会ってきた。
その意味で、ピンクフロイドは僕の人生を大きく変えた存在だと思う。ロジャーはその一員だったし、そしてそのバンドの中でとてつもなく大きな役割を果たした。最大限の敬意と愛と賛辞を送ると同時に、だからこそ彼の権威主義的態度を肯んずることはできず、いささか厭世観の漂う感想を書いてしまった。
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