静かな鳥

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドの静かな鳥のレビュー・感想・評価

4.5
1969年のハリウッド。
自分は正直その当時の映画をあまり観てはいないし、特に知識があるわけでもない。ただ、この作品を観ている間常に感じていたのは「懐かしさ」だった。ロサンゼルスの街並み、映画スタジオ、それぞれで豊かに交わされる人々の交流。その情景一つ一つに、"あの頃"のハリウッドの記憶が刻印されている。そして、自分は本来その"あの頃"を知らないはずなのにノスタルジーを覚えてしまう。不思議と"あの頃"に想いを馳せてしまう。それは、タランティーノ自身が幼少期に見た原風景を元に作り上げられたという、この映画の世界観のリアリティの緻密さ故だろう。当時の華やかなハリウッドを追体験する──そんな魅惑の161分は、彼のこれまでの作品の中でも最も多幸感に満ち満ちていて、全編にわたってこれ以上ないほど心地よくて、観終わってしまうのが惜しいほどだった。

本作は尺の多くが、ハリウッドで生活するとある3人の男女の日常描写に費やされている。今は落ち目の俳優リック(レオナルド・ディカプリオ)と、その付き人兼スタントマンのクリフ(ブラッド・ピット)。当時駆け出しだった実在の若手女優シャロン・テート(マーゴット・ロビー)。彼らが織り成す他愛もない日々の悲喜こもごも。物語にこれといって大きな起伏は無く、明確なストーリーラインも無い。スケッチの如く、落ち着きのあるゆったりとした時間の流れにただ身を委ねているだけでも非常に愉しいのは、登場人物たちが魅力的だからだ。

何と言ってもまずは、リックとクリフの関係性の描き方が良い。メソメソしがちなリックと、そんな彼の肩を抱いて慰めるクリフ。もっとずっと2人を見ていたい。リックが天才子役(ジュリア・バターズ)と交わす会話のやり取りも好き。また兎にも角にも、本作のブラピ(御年55歳!)の近年稀に見るカッコよさ! 全く意味のない脱ぎっぷり! リックの送り迎えの際は安全運転、一人の時は爆走、という車の乗りこなし方とかも最高。
このディカプリオとブラピのように、本作にはタランティーノ作品お馴染みの面々が数多く出演しているが、その中でも『デス・プルーフ』のゾーイ・ベルとカート・ラッセルが"スタントマン夫婦"役なのは笑った。あと、クリフの愛犬ブランディがパルム・ドッグ賞を受賞したのにも納得。

また、シャロン・テートはキュートで愛らしい…と同時に、私たちが深い哀しみに襲われてしまうのは、(予備知識のある)観客が「今後彼女の身に何が起こるのか」を知っているから。だが、それとは裏腹に画面上ではテートの日常を丁寧に積み上げていくことに注力している。タランティーノは、これまで「あの凄惨な事件の被害者」として一方向からしか語られてこなかったシャロン・テートという一人の人物を、あれから50年後のスクリーンの中で再び輝かせようとしているのだ。自身の出演した映画『サイレンサー第4弾/破壊部隊』を劇場で彼女が観る場面は、言い換えれば「間接的に今の私たちが実際のシャロンテートの作品を目撃する」ことに繋がっている。本作においてタランティーノが何よりもやりたかったのであろうことが、この場面からも十二分に窺える。

加えて、それまでの明るく愉しい作品の雰囲気が徐々に違う色味を帯びていくキーポイントとして「スパーン映画牧場」のシークエンスがある。ハエの飛び交う耳障りな音と、何も起こっていないのに"何かがおかしい"不穏な肌触り。シーン一つ一つに敢えて長い時間を費やすことで、醸成されていくじっとりとした恐怖。1969年8月9日のある一点に向かって、否応無く物語は接近して行く。

そして、あのクライマックス。"タランティーノなりのやり方で"描かれる事の顛末(あくまで彼なりの方法で、である。その是非はともかくとして)。虚構である映画を愛し、慈しみ、信仰するタランティーノだからこそ、あのラストは確固たる意味を持つ。一つの時代が終わりゆく匂いと、それでも尚輝き続ける数々の映画の記憶、そして当時を生きた映画人への賛歌。これだから映画は素晴らしい。また、メインタイトルの出るタイミングが味わい深い。"昔々、ハリウッドで──"。これはタランティーノの願いと祈りが込められたお伽話なのだから。


※ネタバレありで一つ言いたいことがあったので、コメント欄に追記しました。(↓のネタバレありコメントの中で「リック」と書かれている部分は「クリフ」の間違いです。痛恨のミス…。すいません…)
静かな鳥

静かな鳥