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スーツのnetfilmsのレビュー・感想・評価

スーツ(2003年製作の映画)
4.0
 黒海を臨む港町に住むシティル(アレクサンドル・ヤツェンコ)、ゲカ(アルトゥル・ポヴォロツキー)、ダンボ(イワン・ココーリン)の3人の少年はいつもケンカに明け暮れていた。退屈な時間を持て余し、バイクを走らせど一向に心のもやもは晴れない。青春時代の男子たちの光景は世界中どこでも似たような光景だ。寂れた貧民街に暮らす3人はフェリーに乗って、富裕層たちの住むエリアまで足を伸ばし、ショーウィンドーに飾られたGUCCIのスーツに出会う。レイ・ブラッドベリの短編小説「すばらしき白服」のように夢の象徴となったそのスーツは3人にとっては憧れても手に入らない富の象徴で、手に入れた瞬間、全ての夢が叶う様な気さえする。彼らがそのスーツを手に入れるまでの過程は極めてコメディ的な馬鹿馬鹿しさとチープ・スリルに溢れている。ショー・ウィンドウを破壊したり、ブルジョワジーの為に道路の途中で洗車したり、ようやく必死こいて集めた金を持ってGUCCIに行けば既に売却済みだったり。然しながらしたたかな犯罪をしてやっとの思いで手に入れたGUCCIのスーツを3人が交代交代で着る様子がまた微笑ましい。最初は高台のボロ家に母と2人で暮らすシティルが印象に残ったが厳密に彼が主役ではなく、三者三様の物語に主役となる三人の男と言ったところだ。

 BRANDもののスーツを着ることは単なるファッションではなく、自己顕示欲の希求だとする見方もある。今作でも3人の若者にとってはGUCCIのスーツは水戸黄門の印籠のような無敵のアイテムであり、未熟な自分たちを自信付けてくれる唯一の象徴なのだ。だからシティルは心底憎んでいる父親との再会にこのスーツを着て行くし、ゲカはホテルのドレスコードすら悠々越えて行く。ダンボは愛する女性を振り向かせようと魚屋で働くディナという女性に近付く。この3人の身振りそのものが『少年、機関車に乗る』や『コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って』の変奏なのは間違いない。然しながら3人の意に反して、GUCCIのスーツは彼らの意図する世界へと運んでくれない。シティルの母親のハープ奏者は音楽堂で初めての演奏に臨むが、その演奏は心底ボロボロで、もうここにはいたくない。ここではないどこかへ行こうと息子のシティルに話し掛けるのだ。だが一旦は母の願いを断ることになる。あの岩場の割礼シーンの突き抜けるような馬鹿馬鹿しさはユーロスペースで失笑が漏れるほどだった。ガジェットに乗ることでショットが躍動するフドイナザーロフの系譜はここでも健在で、サイド・カー付きバイクやフェリー辺りはお手の物だが、あの父親の椅子とのダンス場面も心底とち狂った名場面と言えるだろう。政情不安定なタジキスタンの地を離れ、クリミア半島で撮られた映画は現在の世界線では皮肉にもウクライナとロシアにとって戦火の地になった。今作が撮られたような2002年の空気はもうこの地にはない。平和だったロシアとウクライナはおろか、監督のバフティヤル・フドイナザーロフの姿すら見ることは残念ながら出来ないのだから、圧倒的な喪失感だ。
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