とか26

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3のとか26のネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

🟨【良かったところ】
予想通りだったけど
スターロード抱えてたシーンが
酔っ払いを移動させてただけだったの好き。

体幹終わってるから
着地するたびにコケるマンティスかわいい。
作中ずーー……っと、
マンティスの仕草がかわいかった。

ハイエボの動物に対する魔改造思想、
【トイストーリー】のシドと完全一致してた。
うさぎのフロアのビジュアルなんて
ハイエボぜったい
【トイストーリー】観ながら制作してる。
【ムカデ人間】がドキュメンタリーで、
【ムカデ人間2】が現実みたいなアレ。

ハイエボ、顔面のあらゆる血管が
すべて目ん玉に向かってるんじゃないかと
不安になるぐらい眼球血走ってて凄かった。
ハイエボの俳優さん、
休日はめぐリズムとか使って休んでほしい。

カウンターアースの家で
初音ミクみたいな音楽流れてた。

ロケットの蘇生に対して
堪えきれなくなって泣くのが
ネビュラだったの最高だった。泣く。

終盤のワンカット風アクションシーン、
カッコよかった。かなり手間かかってそう。

山羊を魔改造したみたいな
あのグロモンスターとか、
トゥーフェイス的なハイエボの顔面とか、
ディズニーが許可下ろしたのすごい。

ハイエボとのラストバトルで
【エンドゲーム】的な
一瞬で終わる近距離バトルしてて
やっぱりこのバトル描写カッコいいなと思った。

シリーズを通して、
ちゃんとストーリー積み上げてきたのは
突出してネビュラだった。
【ヒロアカ】でいう爆豪ぐらい
人間味の肉付けに成功してた例。
人間味のネビュラと
愛嬌のマンティスの2強だった。


🟥【気になったところ】
ウォーロックが本気見せて
ラヴェジャーズメンバー殺したあと、
ウォーロックの感受性を
コメディとして描くために
わざわざ悲しんでるペットを
利用してくるあたりの描写は
心底この監督とは相容れないなと思った。
動物虐待がテーマの映画で、
なんでコメディのために
動物が悲しんでるシーンを入れられるのか。

ロケットが脱走したあと、
周辺の匂いとかしっかり嗅いでたから
誰も近くには居ないんだなって安心してたのに
なんの前触れもなく
ライラがハイエボに撃たれるのは
ビックリとかじゃなく
意味が分かんなくて困惑した。
ライラより遥かにサイズのでかい
ハイエボのシルエットに
気づかないことあるのか。
ロケットには一切着弾せず
後ろのみんな死んでるのもウソみたいだった。
【死の秘宝】でスネイプ先生が
背後の二人に攻撃逸らしたアレみたい。
ロケットがハイエボを銃で撃たずに
逃げてることも違和感まみれ。

動物虐待がテーマの映画で、
趣味でハンティングやってた俳優が
主演張ってるのも大概 理解しがたい。
それを趣味にしてること自体大嫌いだけど、
【ジュラシックワールド】やったあとに
またコレか…とはなってる。
一体どういう気持ちで演じてるんだろう。

これ以上ないほど物騒な人相してるだけに
余計中身が小物に見えるハイエボ。

ウォーロックは
監督の自己投影が過ぎるし、
自己投影以上のストーリーが無かったのも
前作の引きとして登場してたにしては
あんまりな扱いだった。
サイドストーリー感がすごい。

ピーターとガモーラのややこしい関係性とか、
ガーディアンズを完結させるための方法とか
どうやって片をつけるんだろうって
期待してた部分が軒並み雑だった。

ピーターとガモーラについては
ちゃんと作中2人きりで乗り越えるような
ひとつの大きな問題が欲しかった。
オチのシーンとしてはちゃんと作ってるから、
なんかいい雰囲気で終わってたけど
そこに至るまでの
今作の2人のストーリーはぜんぜん弱い。

ガーディアンズが
バラバラになる理由もかなり薄くてビックリ。
「そうだよね」ってなる妥当な流れじゃなくて、
もう変えようのない結末として
突然解散の路線に入ってった感じだった。

ロケットの蘇生、
クラグリンの口笛、
クラグリンとコスモの和解、
ピーターとガモーラの別れ、
ガーディアンズの別れとか、
ちゃんと見せ場はいろいろ用意してたのに
そこに向けた前振りがめっちゃ弱いし
そもそも見せ場を盛り上げようみたいな
前作にあった姿勢をぜんぜん感じなかった。

コスモに対して「悪い犬だ」って
散々意味のわからない前振りしてたのに
最後なんで「いい犬」に変えたのかも違和感。
守ってくれるから
「いい犬」ってのは分かるんだけど
それだと前振りの
「悪い犬」のほうが全く意味不明なので
この犬はめっちゃ強いんだぞ!っていう事実を
「悪い犬だ」の一言で
最初から最後まで一貫して表現してたほうが
理屈の通った前振りじゃないかなと思った。
敵を乱暴にボコボコにできる
コスモの実力を唯一理解していた上での
「悪い犬だ」っていうあえての皮肉。

動物を虐待するなって言ったかと思えば、
動物虐待をコメディの一部にするし、
「人型の動物を作るな!」
「野生のままがいちばん!」って
ディズニーキャラクターの大半を否定するし、
危険な動物は人間のために殺すってはなしを
わざわざオチに持ってきたりと、
テーマ性があまりにもグラグラで酔った。
クリスプラット主演の映画に
このテーマ持ってきてるのも
逆に狙ってるのかもしれない。
「趣味でハンティングしてたのも許されます」
みたいなテーマのつもりなのかも。
よく分からない。何がしたかったんだろう。

ディズニー映画のなかで
動物に人の魂宿らせることを完全に否定したり、
カウンターアースで暮らす動物の描写とか、
そもそもハイエボの
ディズニーモチーフっぽさなどなど、
ジェームズガン監督って
学生時代に居た、
嫌いな教師が教室内にいる状況で
その教師に対しての悪口を
相手に聞こえるように発言して
ヒヤヒヤな空気でウケを取ろうとするタイプの
痛い悪ガキ見てるみたいで
なんか見苦しい。【スースク】でも思ったけど。
エンタメとして面白いもの作れる技術力は
文句なしに高いのに、
テーマ性の表現になると
毎回観客に向けた目配せというか
カメラ目線を感じて
「わざとらしいわぁ…」て思ってしまう。

「誰にでもやり直すチャンスがある」って
テーマ性を描くのは別に勝手なんだけど、
だいたいそんなこと言いだすのって
やらかした側だし
なんとなくで許されてる人限定だよなとは
こういうテーマ性を見るたびに思ってる。

エンタメ部分は面白いのに
毎回テーマ性のほうで
嫌いだなーってなるのが安定し始めたので、
ジェームズガン監督、
逆に安心感が出てきたかもしれない。

ありがとうございました。
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