時代は2001年。
台北。
スーチー演じるヴィッキーは16歳で遊びを覚え、恋人ができて同棲するものの、ハオという男はダメ男で働く気もない、将来のことは全く考えず刹那的に同棲生活をしている若い男女の空虚な雰囲気がずっと続く。
映画はヴィッキーをずっと追い、この時別の所では・・・・・・がありません。
細身で豊かな黒髪の美少女、ヴィッキー。
ヴィッキーはホステス、水商売をするようになりますが、腐れ縁とでもいうのか、ハオはヴィッキーと倦怠ムードになりながらも別れる気はなく、すがりついてくる。
では、ヴィッキーはどうか、というとヴィッキーはヴィッキーで男なしで自立するという気も全くなく、ハオでなければ別の男たちについていく。
そして、北海道の夕張ファンタスティック映画祭に行き、雪景色の中で遊び、新宿に呼び出されてすっぽかされ・・・・・・そしてまた台北に戻ってくればハオがいる。
外の風景が映るのは日本の風景だけで、台北になるとほとんどが部屋の中。色鮮やかな照明の中でうごめく虚無たち。
スーチーの演じるヴィッキーがやる気があるのかないのか、わからずその場限りのようでいて、それでもどこか芯の強そうな、したたかさを持っています。
ハオはヴィッキーがいなければやっていけないけれど、ヴィッキーはハオなしでも十分生きていける、そんな目つきをするスーチーはとても美しく、鼻筋が通っていて、ぼってりとした唇、豊かな黒髪で男たちを魅了する。
この映画に「未来」とか「将来」とかましてや結婚、老後、といったものはありません。あるのは「今」それだけ。
ナレーションでは10年前の自分を彼女、と呼んでいるから10年後があるのだろうけど、その10年後は全く描かれません。
若くて美しくて魅力的な女性は魔法使いではない。
いつか年をとるのでしょう。
でも、若い時って、先のことは全く考えられず今だけ、の真空状態の時が誰にでも多少なりにもあると思います。
受験に苦労し、就職に苦労し、婚活に苦労し、生活に苦労する・・・・・・ヴィッキーには「苦労」という文字はありません。
だからこそ、ヴィッキーは刹那的で自由な美しさを持っている。
それを映画はものうげな音楽にのせて、青春のある一頁を切り取ってみせた映画。