喜連川風連

生きてるだけで、愛。の喜連川風連のレビュー・感想・評価

生きてるだけで、愛。(2018年製作の映画)
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躁鬱とADHDと過眠症を併発している女の子。

お皿を何度でも割るし、買い物すらまともにできない。あれだけ遅刻しないように念じても遅刻してしまう。

「ヤスコちゃんさ、よく今まで生きてこれたよね」
「鬱病なんて結局さ、寂しかったんでしょ」

こうした世間的には良い人と言われる人の無神経な愛が最終的に彼女を傷つける。仲良くなろうとしても、「当たり前」の感覚がズレているので、彼女の暗部を知ると、優しい人でも遠ざかってしまう。

それを彼女は知っているから「私がおかしいってみんなにバレてるような気がする」と涙ながらに語る。

「家族みたいなもんでしょ」カフェの人はそれでも彼らの文脈で優しくしようとする。

並みの映画ならば、ここで改心して大団円を迎えるだろうが、常人に理解される心性を持ち合わせていないため、結局孤立する。

あまりの「生きづらさ」にもう死んでしまった方がいいんじゃないか?そう思いそうになる中、愛が彼女を照らす。

部屋外の明かりを赤と青で作り込み、停電シーンが怪しく浮かび上がる。

ドラマ全体が量産される暖か家族ドラマへのアンチテーゼのようだし、ヤスコの同僚として登場する女の子は邦画がこれまで消費してきた女の子を象徴しているようだった。

停電やタバコ、チョコレート、ライターの火がちょうど切れているのは、彼女の満たされることのない不足と消費の象徴らしい。

彼の愛を消費し尽くしてしまわないように、今日も彼女は輝きを放つ。
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