紅蓮亭血飛沫

宇宙戦隊キュウレンジャーVSスペース・スクワッドの紅蓮亭血飛沫のネタバレレビュー・内容・結末

1.2

このレビューはネタバレを含みます

ここ数年の東映によるアメコミ便乗っぷりがどうも受け付けず、前作のギャバンとデカレンコラボ名、ヒーローママリーグといった何でもかんでもアメコミに媚びる姿勢が好きになれませんでした。
本作も本作で、MARVEL cinematic universeのCivil Warに便乗している節を全く隠せておらず、尚且つストーリーとしても比べるのがおこがましいほどの茶番劇です。

まず、キュウレンジャーのメンバーが争い合う理由があまりにも下らない、しょうもない。
キュウレンジャーというチーム自体がTV本編通して個々のメンバーにおける扱いの差が酷かったり(ブルー、ブラック、グリーン、ピンクの存在感の無さ、人数合わせ程度の活躍・ドラマの無さ)、チームとしての結束力とかも特に描かれていなかったわけですから、ある意味本作でこんなしょうもない内輪揉めするのも頷けるところではあります。
1年間ぐらいかけて描いてきたスーパー戦隊であるのに、チームとして全く絆とか結束力を示す説得力のあるストーリー構成を成していなかったわけですし、百歩譲って彼らに仲間意識がしっかり芽生えていたのだとしても、本作のストーリー通して戦い合う必要性の無さばかりが目立っている、東映の、スタッフ側の自己満足っぷりが隠し切れていません。

何故キュウレンジャー同士が戦い合うのか、その理由はメンバーの一人・ハミィが開発しているネオキュータマというアイテムを奪った事が発端でした。
そのアイテムを、ギャバン・シャイダーが住む宇宙から飛来してきた宇宙忍者デモストの元へと送り届けていたスパイ的役割を熟していたのです。
とりあえずハミィを捕まえて事情を聴こうとする鳳ツルギことホウオウレンジャーチームと、「お前はハミィを信じないのか」と仲間の意志を尊重するラッキーことシシレッドチームに、キュウレンジャーは分断してしまう。

…そもそもラッキーの言い分に全く賛同出来ないし理解出来ないですね。
仲間を信じないのか、という仲間を思うからこその弁明・信頼自体は別に構わないのですが、現にハミィが被害を出しているのは事実で、「仲間を信じる」という聞こえのいい言葉で、現在進行形で疑いのかかっているハミィを自由に行動させる事を援護している。
つまるところ、彼女の悪行・疑惑を知った上で放置しているわけです。
ていうか、これ以上何らかの罪を重ねる前に捕らえ、事情を聴けばいい話なんです。
仲間を信じないのか、という安直過ぎる同情を全面的に吐露しているばかりのラッキーの言い分は、仲間を信じる=自由に動かせればいい・放置していい、という方程式を成り立たせているようで聞こえが悪いですし、仮に仲間を信じるという名目でハミィを自由に泳がせたなら、その先はどうするつもりだったんでしょうか。
ハミィを探して説得するつもりだったんでしょうか。
ならばツルギの言い分と同じ事になるんですけど…。
その先を考えてないんですよね、つまるところ。
仲間を信じる、という美辞麗句に酔っているだけで、その先を考えていない。

更に言うなれば、このしょうもない内輪揉めをしている時点で“キュウレンジャーって1年一緒に戦ってきたくせに、こんな事で仲間割れしてんの?”という肩透かしな感想しか抱けなくなります。
キュウレンジャーというチームそのものに泥を塗りたくっているというか、貶めているのではないかと。

今回の話はそれこそ、TV本編中盤ぐらいのエピソードとしてやるならまだ許容出来た構成内容です。
本作は“1年通して苦楽を共にしてきたチーム”のその後を描くわけなので、その環境下でこんな大人の事情・金儲けのために作られたかのようなしょうもない戦いを見せられるなら、TV本編の戦いやチームで過ごしてきたあれらは何だったの?、としか思えない。
本作を通し、キュウレンジャーというチームが一層魅力的になるといったそういった価値の付加はありません。
むしろ、キュウレンジャーというチーム・作品そのものを貶める内容だと思います。
不誠実というか、キャラクターを蔑ろにしています。

先程、本作はMARVEL cinematic universeのCivil Warに便乗している節がある、と述べましたが、では例としてCivil Warはどうだったのかというと、もう比べるまでもありません。
雲泥の差です。
MCUは個々の映画が同じ世界観に存在し、綿密なクロスオーバーを展開する一大プロジェクトです。
これまでの作品群を通してそれぞれのキャラクターが持つ信念・葛藤、過去からなる決意、といったキャラクター像を、何より“絶対に譲れない信念”をしっかりと描いてきたからこそ、対立する他ない下地がしっかりと出来ていました。
だからこそ、空港でキャプテンアメリカ陣営とアイアンマン陣営が戦い合うのも彼らの人間性・意志を尊重すれば避ける事の出来なかった戦いとして機能していましたし、終盤におけるキャップとアイアンマンの死闘は見るに堪えない程に胸を痛める、禁断の戦いとして描く事が出来た。
ヒドラに操られていたとはいえ、両親を殺したバッキーに襲い掛かるアイアンマンことトニー・スターク。
子どもの頃からの親友で、戦争中に死んだと思いきや現代にて再会するも、ヒドラによって操り人形とされていたバッキーをそれでも庇いたいキャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャース。
どちらか片方に極端に肩入れ出来ない、出来るなら二人に戦って欲しくない…という気持ちが抑えきれないクライマックスの戦いは、ヒーロー同士が戦い合う事がどれだけ辛く、重苦しく、心を搔き乱すものであるのかを痛烈に描いてみせたからこそ、Civil Warにおけるヒーロー同士の戦いは多くの人々を魅了したのです。

本作で描かれる内輪揉めは、ラッキーの言い分に全く賛同出来ない且つ、ツルギの言い分が極々当然の決断であり、仲間を思うからこそハミィを止めて事情を聴いた上で対策を取ればいい、という視聴する前からの気持ちが全く揺るがなかった事が大きいです。
ハミィも自分の師匠が人質に取られていたから、という理由でああせざるを得なかったのは分かりますが、ハミィという人物自体がTV本編通してシノビスターの名に恥じないぐらいの空気キャラだったのもあり、師匠設定がTV本編通して描かれていないため、あまりにも唐突な事で全く感情移入も同情も出来ない。

むしろ、ハミィもハミィで自分がそういった状況に巻き込まれてしまったわけなのに、あの行動に出てしまった時点で、“師匠>>>仲間”という彼女の中での優先事項が明らかになっちゃったんですよね。
チーム内で争ってる光景を見て自分から止めに入るわけでもなく、背中を向けて逃走までするわけですから。
悲劇のヒロインぶってますけど、仲間が助けてくれなかったらハミィ自身脅されっ放しの操り人形でしたから、悲劇のヒロインなりの抵抗といった足掻きがないのも痛い。

例えば、“ONE PIECE ねじまき島の冒険”で敵に捕らわれたナミが隙を伺って敵に襲い掛かったり…といった、寝首をかこうとする抵抗心も大して描かれていない。
それこそこの手の展開は、渋々こうせざるを得なかった自分の姿を憂う心の動揺を見せる、ハミィの仕草を一瞬でも仲間達の前で見せ、その仕草を感じ取った仲間達が、12人もいる人数の多さを駆使してハミィの身辺調査に当たる…といったキュウレンジャーならではの戦略を立てるのが好ましかった。
というか、この企画のために、キュウレンジャーを分断させて無理やり戦わせた、という思惑が全く隠れてないんだと思います。
彼らを内輪揉めさせるために、キャラクター達が状況に振り回されっ放しの人形となっている、それぞれの意志が感じられない。
これならスーパーヒーロー大戦のように、真意を突き止めたキュウレンジャー達が敵・デモストを欺くために内輪揉めしてる、という着地点にした方がまだマシでした。
一応彼ら全員が自分の意志で内輪揉めしてる分、敵を欺くために芝居打ってるシチュエーションより余計タチが悪いんですよね。

ゲスト登場する歴代スーパー戦隊の強敵達の描き方はそれほど悪い印象はなく、本作においては安心して見れるところではありました。
メレ以外、出た意味も特になかったというのが目立ちますが…。

鑑賞したのは二度目でしたが、面白くない作品だった事は変わりませんでした。
スタッフもスタッフでこの企画を持ち込められてさぞ苦悩した事でしょうが、かといってストーリー構成云々を通し、“キャラクター達の感情を押し殺させたような、意図的にキャラクターの思考回路を奪っている”ようないい加減且つ呆れ返る内輪揉めに感情移入も、心を揺さぶられる事も出来ませんしあり得ません。
その果てに彼らの間にある絆、とかを描かれても、1年かけて戦い抜いてきたチームがこんないい加減な内輪揉めしてる時点で失笑モノです。
所詮その程度の仲、チームだったんだな、と認知されるだけです。
面白くない以前に、不愉快でした。