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5時から7時までのクレオのayのレビュー・感想・評価

5時から7時までのクレオ(1961年製作の映画)
5.0
1年で1番日が長い夏至の日に、若く有名な歌手のクレオが、医師の検査結果を待ってる。彼女がタロット占い師に運命をみてもらうタイトルシークエンスからのオープニングの流れが、この後の展開のペースを決める。最初、しばらくのあいだクレオと占い師の顔は映らない。カードを配ったりめくったりする手元を強調した遊び心あるショットが続いたあと、不吉な予感に意表を突かれてはっとしたクレオの顔が、おもむろにアップになる。カラーからモノクロへ、彼女とその背景は色をなくす。

撮影は簡素、視覚的なシンプルさ明快さが心地よい。自然なリズムで流されるようにして即興的に撮ったみたいに、カメラの横移動を多用してずっとシームレスな感じで場面が移っていって、はじめはカフェなど実際のパリの街で撮ってる。クレオの家のなかにいったん入ると、趣味のよい家具や小物が配されたそのプライベートな空間は、表面はすべてが整い満たされ華やかだけれども半分つくりもののようでもあって、そこはいったん現実からフィクションの空間に切り替わる。

ふたたび現実のパリの街に繰り出したクレオは、表通り裏通りを歩いたりタクシーやバスに乗ったりしながら、名前も知らないたくさんの人とすれ違う。街を生きるそのままの、1962年頃のパリのスナップショット。市井の人たちの顔、顔、顔。
この映画のなかにはふたつの種類の風景があって、ひとつはクレオの主観的な風景。憂鬱で気まぐれで上の空でくるくる変わる。何もかもが悲しく思えて帽子を試着して気を紛らわしたりシャンソンをうたって悲しみを表現したりして、彼女の内面と外の世界はどこまでもずれていく。 
もうひとつは、クレオがいくらどう思おうが関係なしに進んでいく日常の客観的な風景で、これが作品に奥行きを与えてる。窓ガラスには行進する兵士の姿が映し出されて、遠くアルジェの殺伐としたニュースがラジオから流れる。近くのカフェに意識をむけると、あちこちで芸術談義が花開いてる。街を歩いていても、戦争が起こってるなんて誰も知らないようにも思える。クレオがひとりでパリの通りを歩けるという自由の感覚と、自分と切り離されたところで世界が回ってるという孤独感がない混ぜになる。みなれたはずのものが目に留まって、行き交う人々の目線に気づいていって、会話や音が聞こえてくる。静かな錯覚を覚えるシーンのひとつで、死を意識しはじめた彼女の視点が非常にフラットになっていく感じがよく出てると思う。

占星術は、自分の運命は生まれつきこうだと信じさせてくれて、自分の人生を受け入れやすくしてくれる。あらかじめ定められた自分の人生の意味が、わかったような気になれる。何かに意味を見出そうとしてるとき、その背後には、何の意味もない偶然を恐れる気持ちも、深く潜んでるんじゃないかと思う。

パリの街の現実にさらされて何て自分は弱いんだということに気付いていって、クレオは、突然襲ってきた死の重さにだんだんと耐えられなくなってくる。誰もがユニークでかけがえのないひとりの存在であるはずが、社会にとってもまた愛しい恋人にとっても、いなくなっても大して影響ない意味のない存在なのかも、という目を背けたい不安がふとちらつく。シリアスで内省的な気分が強くなる。今の恋人との表面的な関係をドライにとらえる一方で、甘やかしてくれる存在を焦がれる気持ちもあって、ゆれ動く。

自分の病気について確信めいたものを最初に得たときに、"私が美しくある限り 私は生きている"と、鏡にむかってクレオはいった。大小形もさまざまな鏡がいたるところに違った角度に置かれてて、ショーウィンドーも含めて彼女を取り巻く多重の世界を映し出す。光と影が複雑に絡みあう鏡のなかの像は、必然と偶然が織りなすクレオの運命の本質もあらわしてる。表面的な美しさにこだわってきたクレオ自身の存在の軽さも、ネガティブにポジティブにその意味あいを変える。
パリを自ら歩くことでずっと鮮明に具体的な感覚をともなって周りがみえてきて、逆に周りのことが気にならなくなって、クレオは落ち着きを取り戻す。

1人の女性の行き当たりばったりな90分間をただとらえた映画のようでいて、外の出来事や感情の浮き沈みの連続の下には、クレオの内面のゆるやかな目覚めがある。自分の本当の糧になるものは自分で探さなくちゃならない。そして、生きることに本気になるというのは、同時に、シンプルに手持ちのものに立ち帰ることでもある。
死と運命のテーマをはっきり打ち出した「5時から7時までのクレオ」の印象は、重く深刻でも説明的でもなくて、優美で小気味よく、軽い。若き日のアニエス・ヴァルダのずば抜けたセンスが光ってて、大胆さ瞬発力を生かした演出と、徹底した計算で、さりげない感動をつくってる。

死を意識する時間のなかに幸福を描く。新しい自由の段階に移行していく、ロマンチックな時間。クレオの悩みは特別なものじゃない、時代も場所も関係ない。誰もが死にむかって確実に運命づけられる。彼女のありふれた弱さは魅力と思う。
自分の生き方や愛し方が、過去の正しさとは同じものではなくなったことを受け入れた先に、人生の本物の成熟がはじまるんだろう。幸福の最中に人は幸福と感じてない。死を思うことがむしろ幸福に近づく道なのか。
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