ろく

縄文にハマる人々のろくのレビュー・感想・評価

縄文にハマる人々(2018年製作の映画)
3.5
わからないから楽しい。でも危険だ。

実は山内丸山遺跡を観に青森に行ったことがある。行ってまずあまりの物見胡坐の大きさに吃驚した。そしてこの時代が現在よりもずっとずっと長いことにいろいろと考えたものだ。確かにそれは妄想広がるわぁと行って感じたのを覚えている。ついでに木造にいき、土偶の駅も観、ついでに近くのしゃこちゃん温泉(遮光器土偶のねたね)にも入ってすっかり当時「縄文」を満喫した。

縄文という長い時間を語るにはこの映画が短すぎるかもしれない。それほど縄文は「長くて」「謎に満ちている」。だからみんな勝手なことを思う。この映画でもそうでみんな「勝手に」縄文を夢想する。

それは楽しいなぁと観ながら感じるとともに少し怖いと思う時もあった。この映画でもそうだけど縄文を「勝手に解釈する」人に溢れている人がたくさんいる。それは少し怖いことでないかい。だって「今の自分」(あるいは意見)を肯定するために縄文は使いがってがいいということなんだから。「日本人は~」「ほんとの自然とは~」「生きるとは~」「人生とは~」そんなことを「わからないことからわかることだけを抽出」して語るのはたやすい。歴史は時に自己肯定をするプロパガンダになってしまう。それを縄文の「わからない」が補強する。

だからか北海道大学の教授の言葉はすんなりと自分の中にはいった。教授は「わからないことを無理にわかるようにしてはいけない」と語る。それは大事だ。歴史を自分を(あるいは世界を)肯定/否定するための道具としてはいけないということ。その言葉を聞いただけでも僕は満足。

そうそう、映画としてはちょっと文字が小さく読み難いのが難点。見せようという気力あるのかなぁと思って見ていた。あれでは読んでいるうちに次に行ってしまうよ。ナレーションのコムアイはいい感じだ(あの物憂げな感じとともに)。あれくらいぼそぼそって喋るほうが僕は好き。

全体としては散漫な感じもする映画だけど(でもそれはそもそも縄文自体と言うのが散漫な時代だから仕方ないかもしれない)また山内丸山遺跡に行きたくなった。しゃこちゃん温泉にももう一回入りたい。ちなみに温泉にはいっていたとき地元の人たちの言葉が津軽弁で全く聞き取りできなかった。青森はひょっとして縄文の流れから独自の文化を継承しているのかもしれない(これが妄想です。良くない良くない)。
ろく

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