Foufou

嵐電のFoufouのレビュー・感想・評価

嵐電(2019年製作の映画)
4.0
瑞々しい感性、と思ってたら、作り手は齢五十を超えている。日本にはこういう映画を作る才能もあるんだとつくづく層の厚さに舌を巻く。今泉力哉の好敵手、という感じがしないでもない。

結局は映画の作り手というのは、映画への愛と感謝を作品として昇華してナンボみたいなところがあるのでしょうか。映画の生起する瞬間を巡る映画とも言える。京都造形大学の准教授に就任した監督が、門下生?を最大限導入して撮っているからだろうか、若さが漲っているのだが、放縦でないところ、抑制が効いているところに、父性を見るような映画です。優しくて、ほろ苦い。笑い顔で泣く、というタイプの映画です。挿入歌はあなた、あがた森魚ですよ。

映画のなかで役者は日常を芝居する。では、芝居のなかで芝居が生起する瞬間をどのように追うのか。設定は実に単純なんだけど、ハッとさせられる。なにこの女優さん、えらい魅力的なんだけど、となる。小生は好きなタイプとかないので、好きな俳優もいない。いいな、と思っても、それは特定の映画の役柄を演じたからこそ引き出された魅力であって、その俳優が出てればなんでもOKとはなかなかならないですね。逆にその俳優を嫌いになったりするものね。そういう意味で、今泉力哉の好敵手と言うわけです。役者たちがみんな、なんか、輝いています。大林宣彦テイストもございますね。

しかし嵐電の紫は小生の趣味ではないというか。形状も不満かな。そこへ来て江ノ電の車両が使われてるというのもね。でも、そこを映画的にうまく料理するんですね。そういえば、江ノ電のパンタグラフは独特らしくって、黒澤明の『天国と地獄』でしたっけ、犯人を追い詰める決定的な役割を果たすんですけど、そんなことを思い出したり。

もう、次の展開がわからなくて、その都度驚かされるというか。どこに連れて行かれるかわからない、という不安はなくて、もうどこにでも連れてって、と。

そうそう、いつか8ミリの上映会で、自分の在りし日の姿をそこに見るかもしれないわけで。人はそのようにして映画に接しているのかも知れず。

素敵な映画。
Foufou

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