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ウトヤ島、7月22日の海のレビュー・感想・評価

ウトヤ島、7月22日(2018年製作の映画)
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どんなことでも良い。早く家に帰って飼い猫を抱きしめたいとか、今朝ママに伝え忘れた「ありがとう」を伝えたいとか、恋している相手に好きって言ってみたいとか、人の死や苦悩や後悔にはとても見合わなく思えるような小さなことで良い。本当に何でも良い。ただ、考えることを放棄しないでほしい。あなたが何を考え、何を思い、何に苦しみ、何に涙するか。わたしがわたし自身と、あなたがあなた自身と向き合う時に、自分以外の全てのことが、どれほど重要になってくるか。見限らないでいてほしいのは、良心とか道徳心なんかじゃなく、心だ。

想像に完璧はない。どこかが足りず、どこかが過ぎてしまうのは仕方のないこと。2011年7月22日、生きて帰ろうと必死にウトヤ島を駆け回っていた彼らは何を想像し何を理解していたか。事件をニュースで見聞きし、丁寧にまとめられた情報をその場で得られる私たちには、いくらでも良い悪いで判断し悪い方を非難することができる。発砲している人間は何人か、相手は誰なのか、何故こんなことが起こっているのか、明確な答えを得られない状況下で彼らが見ていたのは「テロリスト」でも「犯人」でもなく「警察官の服装をした男性」だった。このように、いまだに私たちの理解しない彼らのことが、他にどれだけあったとしてもおかしくない。それならば、だからこそ、私たちは想像し続けるべきじゃないか。ニュースで見聞きするだけでは見えない聞こえないことを、見て聞くために映画を観、本を読むべきじゃないか。それでも間に合わないことのために、思考すべきじゃないか。今ここで私が大声で歌う。今そこで子供が大声で泣き叫ぶ。それがどう作用しようとも、そうしなければ守れない「沈黙」があったことを、信じなければいけないように思う。時にその想像が残酷なものであろうとも、それ以上に賢くはなれないのなら、そうすべきだと思う。家に帰りたい、帰って愛猫を抱き上げて頬ずりをしたい、家族にただいまと言いたい、大切な記憶に抱かれながら今夜もただ深く眠りたい、この酷い現実から目をそらす時に浮かんでくる溶けて無くなるようなやわらかい幸福の中にこそ、生きて生きて生き抜くための光が沈んでいるのかもしれない。何だって良い。考えて、想像して。
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