静かな鳥

アイネクライネナハトムジークの静かな鳥のレビュー・感想・評価

3.8
ちょうどいい。
背伸びをするでもなく、型に無理やり押し込めるでもなく、自分に一番しっくりくる丈のような。心地よくゆるゆると馴染んでいくような。そんなちょうどいい温度感。このこぢんまりさが自分は好きだ。そりゃ正直『愛がなんだ』の次作として物足りなさがないと言えば嘘になるが、こっちはこっちで素敵じゃないですか。今泉監督がこれほど正攻法で「好き」を描いていることに対する驚き。これまで「好き」をじっくりと考察し数々の作品を積み重ねてきた監督だからこそ、このストレートな物語がより大きな意味合いを持つ。ささやかな日常、人との出逢いと"それから"(そして別れ)。劇的じゃないけれど、最高じゃないけど、それも悪くないよ。ちょうどいい。それでいい。日々の営みをやさしく包みこむような一本。

そもそも自分は、一ファンとして伊坂幸太郎の小説の実写化はハードルが高いと思っていて。あの軽妙で独特な、けれども現実世界で生身の人間に言わせるとどうにも浮いてしまう、そんな"伊坂節"ともいうべきセリフの数々をどうアレンジするか?は、伊坂作品実写化に於ける大きな関門の一つだと思う。その点、"らしい"セリフを多用する人物を矢本悠馬一人にあらかた絞ってしまう、という本作のバランスは非常にナイスな判断。伊坂作品のいいとこ取りをしつつも、今泉監督の作品世界が全方向に充満している。

キャスト欄を見た限りではこの監督らしい役者がいないな…と思うが、蓋を開けてみれば今泉作品の住人として一人一人が魅力的に息づいているのが素晴らしい。何より多くの登場人物たちがしっかり印象に残るし、かといって互いの個性を相殺しないように絶妙な気負わなさで並んでいるのは群像劇としてお見事。不器用ながらも実直な等身大の若者を体現する三浦春馬。多部未華子は仕草一つとってもチャーミングだし、なんてったってこの2人の織りなす空気感に心が落ち着く。矢本悠馬は「あの『ちはやふる』の肉まんくんが父親役…!」というのがフレッシュだし、やはり欠かせない存在感がある。それとドラマ『ゆとりですがなにか』に引き続き、居酒屋の店員の服装が似合うなと。あとひたすらに森絵梨佳がかわいいし、ちゃんとお母さんにも見えるという事実。仙台出身のあのお二方のあまりにしれっとした登場には笑う。また、相も変わらず藤原季節は美味しいところをもっていくなぁ、ズルい。

日常の中に潜むちょっとした奇跡を見出す原作に、日常を丁寧に見つめる監督が加わったことで、物語に於けるあたたかさや寂しさ、もどかしさや嬉しさといった"感情の色"がより豊かになった。電話中にテレビの音量を下げる、部屋に置かれた植物に水をやる、スイカに塩をかける、ぐつぐつと煮えるポトフ、1人で座るダイニングテーブル(食パン、牛乳)、家の窓から覗き見える室内の明かり。アイス食べてる三浦と恒松祐里のシーンとか、ラストの食卓とか堪らなくいい。
誰かの小さな行動が、また別の誰かの縮こまってた背中をそっと押してくれたり(押されたような気がしたり)、いつのまにか支えになっていたり。そうやって見えないつながりは育まれ、派生していく。そのように考えると、自分を取り巻くこの世間は広いのだろうか、狭いのだろうか。見知らぬ誰かとを結ぶ摩訶不思議なつながりの連鎖。時を超えて、人を換えて、ゆるやかに反復される会話。繰り返し、交錯し、溶け込んで、呼応し、離れゆく。

ここは劇伴無しがいいなと思いながら観ていたポイントのそこここで、狙いすましたかのように劇伴が流れ出すのはそれなりに不満だったりもする。が、とあるシーンで「ベリー ベリー ストロング 〜アイネクライネ〜」のメロディが流れ出すのにはグッときた。あと、今泉作品でシネスコって珍しくないですか。

人間をひたむきに信じ抜こうとする、その愚直なやさしさは、ともすれば居心地の悪い生温さと紙一重だ。でも、それでも、この作品は人間を信じ肯定しようとする。映画館を後にする際、周囲を行き交う人々が、今までとは少し違って見える。こんなこと、あればいいな、あったらいいね。けど、それより前に自分の日常をコツコツと大切に生きねば。ここぞと言う時に踏み出す勇気を。まずは、そこから。

この単調な日常に、ほんの小さな気づきを与えてくれる。街並みが色づいていく。それだけでもう、この映画はとても素敵な役割を成している。これから先、小さな夜を積み重ねていった向こうには何があるのだろう。それは分からないけれど、後々振り返ってみて「悪くないよ」と思えるような人生なら万々歳ではないか。どこにでもあるようなちっぽけなこの夜を、じんわりあたたかく照らす街の灯、ペデストリアンデッキから聞こえてくる穏やかな歌声。小さな夜が、またこの街にもやってくる。
静かな鳥

静かな鳥