kota

家へ帰ろうのkotaのネタバレレビュー・内容・結末

家へ帰ろう(2017年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

50年よりもっと、時が過ぎたんだろう。
それでもずっと、遂げられず心残りだったんだろう。

逃れられず人生と向き合わざるをえなくなって初めて、はっと気付かされたように、衝動的なほどに突然に、自分を突き動かす動力が湧いて止められなくなる。

歴史に飲み込まれた、大切な過去の約束を遂げる道のりは、消し去りたいのに、目を背け続けたいのに、しかし決して風化してくれないまま胸に深く突き刺さったままの1つひとつの過去を突きつけてくる。
それに向き合わずしては決して前には進ませない、逃れられない強制力をもって。

はずかしめられながら、傷つけられながら、恐れながら、自分が崩れ落ちないように去勢を張り続けながら、
同時に、自分の存在を蝕むほどの傷が見えたとき、忌むべき存在さえも含めた誰かに支えられて、包まれて、温められて、突きつけられた1つひとつの過去を呑みくだしていく。

家に帰ろう。
そうだ、これは心残りな過去の約束を果たす旅でありながら、意図せずして人生の傷と向き合って、人生を癒して、帰るべきところへ、心の中のホームへと向かっていく旅なんだ。たぶん。

ところで、どうして終始ジプシーミュージックが流れるんだろうと分からずにいたら、東欧系ユダヤの伝統音楽クレズマーのルーツが、ジプシーミュージック=ロマ音楽に強く影響されていることをWikipediaが教えてくれた。ロマの迫害の歴史の哀愁が滲む音色、それでも人生を楽しもうとするリズムは、ユダヤのそれとも重なって、この作品の主題を成しているようにも感じられた。

気分を変えたくて選んだ作品だったけれど、感じ取ることはやっぱりその時の気分とか感情とかに引っ張られてしまう。それはそれで良いのだけど。
誰かの人生に触れ、誰かの作品に触れ、それを自分の言葉で表現できたとき、それは自分の人生を癒してくれる糧になりえるものかもしれないなあと、たらたら綴りながら思った。

(スペイン語が妙に耳に心地よいのは、楽しかった個人的な記憶が刺激されてるんだろうなー)
kota

kota