ひれんじゃく

博士と狂人のひれんじゃくのレビュー・感想・評価

博士と狂人(2018年製作の映画)
4.5
 開始36分のためにある今までの36分。辞典の編纂者と精神を病んだ軍医がこう繋がり、人生が交わるのかと感動した。Approveで初めてマレーがマイナーから手紙をもらうくだりとか感極まって泣けてきてしまった。
 英語の歴史を軽く学ぶ授業でマレーの話をちょろっと聞いたことがあるけど、裏にこんなドラマがあったなんて知らなかった。観てよかった。そしてその授業をとって良かった。

 考えてみれば「辞書を作る」「それも今までの単語の意味の変遷を全て辿るようなものを作る」という時点でだいぶ無謀なプロジェクトだなと。オックスフォードの英和辞典には向こうの記事を読んだり洋楽の歌詞を見るときにメチャクチャお世話になってたけど、原型を気に留めたことはなかった。言葉の海を渡る長大な旅を始めてみよう、と思った時点で勇気に感服する。すごいなあ。よくやろうと思ったなあ。
 ただ「英語を広めるため」に辞典を作らせて認識や用法を統一させる、というのが時代が出ていてげんなりした。やっぱりどこの国も支配者になると考えることは同じなんだな。日本の同化政策を思い出すなど。一方で「今の時代の英語が最も洗練されて美しい」なんていう意識は、今後持たれることがあるのかなあと羨ましくもなる。イギリスがナンバーワンだぜ!という驕りがもちろんここにはあるけど、それだけ自国に誇りを持っていることの現れでもあるような気がして。

 「言葉が自由を与えてくれる(この場合は「貧困から脱するチャンスになる」)」といった考えは、義務教育が一般的ではなかった時代ならではだなあとしんみり思ったけど、よく考えたら今にも当てはまるなと。色んな外国の言葉を知れば世界が広がるし見方も変わるかも知れない。少なくとも海外のニュースをリアルタイムで追える〜といったこととはまた別種の豊かさをもたらしてくれるようにも思える。言葉の持つ力に感動してしまうのはこの「世界全体を巻き込みうる凄まじさ」にもあるような。

 マレーとマイナーの関係性を見ていると羨ましさが募る。ここまで同じ教養レベルで話せる人がいたらそれは楽しいに決まっているよ。出会えて本当に良かったなあ、よかった…………………………………………………………この映画が素晴らしいと思える所以は、言葉の力の凄さが確かめられる、とか2人の関係性が、とか、そこにもあるけど、マイナーが蘇っていく更生の物語でもあるからなんだよなあ。マレーとの出会いだけではなくて、被害者の遺族との関係もあるのがまた。時代柄か神の話がよく出てくるけど、キリスト教的な「慈悲」の話も織り込まれているのが見事。殺人はもちろん許されることではないけど、精神病を治してくれるイエスはここにはいないし。単純に悪とも言い切れない微妙な関係性の中で、怒りや憎しみではなく赦しをもって応えようとするのが心に沁みてしまう。

 言葉が存在する限り、その変遷を追いかける旅もまた続く。当たり前のことだけど全身が熱くなった。始めた人が死してもなお受け渡されるバトンの重さに圧倒されて。
ひれんじゃく

ひれんじゃく