幽斎

アドリフト 41日間の漂流の幽斎のレビュー・感想・評価

アドリフト 41日間の漂流(2018年製作の映画)
4.0
自然災害はスペクタキュラーな面も有り、映像化する意義も有る。しかし「真実を基にした」場合は遭難した方は「助かってる」のでサスペンスは成り立たない。サバイバル映画は前提と結論の捉え方で評価も左右されるジャンルでも有る。

「サバイバル映画」一昔前は「パニック映画」と呼ばれた。パニックの定義は突発的な恐怖に依る混乱した心理を指すが、ストレスやヒステリーと違い、通常は正常バイアスが働く。極限状態のサスペンスが映画の醍醐味と言えるが「なぜ人はパニック映画が好きなのか?」我が国には「日本沈没」と言う究極も有るが、其処に登場人物の真の姿がメタファーとして浮かび上がる。それを観客が自分と重ねる事で集団シンパシー、つまり人生の生き方を問うから面白い。

原作はタミ・オールダム・アシュクロフトとスージー・マックギアハートの体験談を綴った「Red Sky in Mourning: A True Story of Love, Loss, and Survival at Sea」本人がスーパーバイザーとして脚本に協力。世代の上の方は「ジョーズ」をリアルタイムで観た為に、海が苦手と言う方も。その世代が作った海洋スリラーの佳作「オープン・ウォーター」も先が見えない恐怖と、登場人物の生死が物議を醸した。日焼けが嫌いで海を躊躇する女性も居るだろう。私も偏光サングラスが無いと車の運転が出来ないので、行くのは何時も夜の海です。

上梓されたのが1998年。Baltasar Kormákur監督は早くから映画化に向けて動き出す。監督は母国アイスランドを舞台にしたスリラーの秀作「湿地」でハリウッドも注目。レビュー済「トラフィッカー 運び屋の女」も社会性の高いテーマ。沈没事故を描いた「ザ・ディープ」アカデミー外国語映画賞アイスランド代表、それを見たユニバーサルが大作「エベレスト 3D」を任せ見事成功に導いた。今やアイスランドを代表するフィルム・メーカーと言える。

にも関わらず本作の企画書を採用するメジャーは無かった。それは「サバイバル映画」は当たりハズレが大きく、特に海は山と違ってVFXが難しい。撮影はフィジー島で行われたが、海上に作られた損壊船のセットとホテルまでの移動時間は2時間以上、それが毎日5週間続いた。甲斐有って名手Robert Richardsonのカメラでダイナミックとリアリティが共存する映像美も見所。Miles Tellerは途中で降板、Sam Claflinが急遽代役。私は彼で良かったと心から思う、単なるイケメンでは無い繊細な役を上手く演じて、主演を引き立てる見事な存在感。

やる気満々なのが主演Shailene Woodley。代表作「ファミリー・ツリー」以降はTVシリーズや映画で数多くの賞を受賞した、アメリカでは名の知れた女優。監督からのオファーを女優の転機と悟った彼女は、自ら製作にも乗り出し、彼女が出演する事でスタジオもSTXエンターテインメントに決まる。この会社、インドの映画会社から事実上買収され、更に中国最大手テンセントも加わり、名ばかりハリウッドの代表格。製作費3500万$に対し広告費2500万$と金の掛け方もケタ違い。

「京都に海が有る」と言うと稀に驚かれますが、日本三景の天橋立をご存じ無い方は居ないでしょ"笑"。隣には日本海で最大の軍港、イージス艦「あたご」の母港、舞鶴も有る。海保に勤める友人に観て貰ったが、意外とサバイバルの手順は理に適ってる。船の基本であるロープの結び方、太陽の位置を測る六分儀の使い方には感心してた。これさえ有ればGPSが無くても海図で陸地を探せる。ポールとジブを組み合わせ即席の帆を拵える等、実践的な見所も有る。食料で言えばピーナッツバターはマストで、栄養価が高く脳が機能する。リアリティを大事にする監督らしいキメ細かな演出も良い。

褒めた後で言い難いが、2回目に観た時に気付いた事が有る。それは「傷の縫合」頭に怪我をして縫うシーンが有るが、出血してる部分を消毒を施す事無く接着するのは、外部の細菌を体内に取り込み、化膿して感染症の恐れもある。例として「鼻うがい」を水道水で行うと炎症を起こすので、適切な食塩水で行う必要が有る。原作は未読ですが、この点は創作的演出と推測。もし同じ境遇に為っても真似しない様に。

精神医科学の友人が海洋パニックで一番問題なのは「幻覚」と言ってた。船が壊れた、お腹が空いた、痛くて動けない、物理的問題よりも外界からのインプットが麻痺する感覚、体験してるかのように錯覚する方が、遥かに拙いらしい。存在しない声が聞こえる、実在しないモノが見える、視覚と聴覚がヤラレると幻嗅も現れ、最終的には肌感覚まで誤認する。生きて帰るんだと言う執念、知識に基づいた正しい判断、奇跡に頼らない強い意志、これらを導き出すには、選択を見誤る「幻覚」が最大の敵。困難に直面した時の正しい選択、それは武漢ウイルスに振り回される今の私達にも言える。

イギリス人は昔から遭難した事を手記に認め、ドラマ化される事が多い国民性。ナショナリズムが徹底してる英国人は、困難を自分の糧として共有する気質が有り、それをクリエイティヴな方向へ転換する。原作がベストセラーに成った後で、残された遺族は訴訟を起こす構えだったが、悪天候を予見する事は不可能であり、それよりも原作者、ある意味被害者は彼の生きた証を残す道を選んだ。ヨットの回航を依頼したオーナーからの後押しで原作は執筆され、本作は完成した。試写を見た彼女は彼との短い愛の軌跡が残る感謝の意を監督に伝えた。

本作の場合「夫婦生活の凝縮」がテーマで有り、日本版ジャケットはパニック仕立て相変わらず詐欺案件だが、US版では初めから「愛の物語」的デザインで分り易い。観てる途中で「なんだ、パニック映画じゃ無いんだ」と評価下げの片棒を配給元キノフィルムズも担いでる。話を戻すと、夫婦生活を海の波に例えて、自然との驚異が実生活の荒波とリンクする。緩いトリックを用いてストーリーもインターチェンジするが、伏線の答えはレビューの中に有るので、鑑賞後に再読して欲しい。エンドロールに貴方も「生きる意味」を感じ取れるだろう。

最愛の人が更に愛おしく感じられる真実の物語。是非、大切な人と一緒に観て欲しい。
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