keith中村

告白小説、その結末のkeith中村のレビュー・感想・評価

告白小説、その結末(2017年製作の映画)
5.0
 ラスト近くの「種明かし」の台詞まで、「そっちのオチ」とはまったく思ってなかったので、ポランスキーの計算通りに掌の上で転がされつづけたということです、はい。
 言い換えると、いちばん楽しめる種類の観客になれたってことなんで、大満足です。
 
 だって、ずっと頭の上にクエスチョン・マークを出し続けながら観てたんですよ。けっこう短めの第三幕に突入してからも。
 「ポランスキーが何でこんな類型的なサスペンスを撮ったんだ?」って。
 そりゃ、ポランスキーの手腕なので演出はしっかりしてるし、興味の持続は全然途切れないんですよ。
 この手のジャンルのクリシェで安定的に進んでいくし。
 
 それにしても「仲良くなった親切な人が、実はサイコ野郎だった」なんて話は今までに何百本作られたんだ? って思うじゃん。
 なんで御大がわざわざそんな手垢のついた物語を作るんだ? ってなるじゃないですか。
 このジャンルの中でも、いちばん似た作品として連想するのは、ジェームズ・カーンがキャシー・ベイツから酷い目にあう例のあれね。
 だから、何かが起こる予感がすると、いろいろ先回りして考えちゃう。
 特に、「地下室の鼠」は、「あ、これ、絶対閉じ込められるやつや! 降りちゃダメ! 逃げて~」なんつって思ってると、何にも起こらない。いよいよ疑問符だらけになる。
 あと、ポランスキーの過去作にヒントがないかとか、いろいろ考えた。たとえば、「ゴーストライター」が出てくるのって2作目だしね。
 
 だから、最後に種明かしされた時点で、「うわ~、劇中に滅茶苦茶いっぱいヒントあったやん! 気づけなくって悔しい~!」と思いながら、同時に「あ~、気持ちいい。すっかり騙された」と、ちょうどテクニックとミスディレクションだけで成立した見事な手品を目の前でやられた感覚になりました。
 
 っていうか、「ゴーストライター」って単語自体、ある意味やっぱりヒントやったやん! 気づけよ、おれ!
 小説家が主人公なら、ジェームズ・カーンじゃなくってジョニー・デップのあっちの作品(両方ともキング原作でしたね)のほうにそっくりなのが本作だったんだけど、幸せなことにジョニデの例の映画はつまんな過ぎて記憶から零れ落ちてて、本作を観てる間一回も連想しなかったので、きっちり楽しめました。
 
 本作の優れたところは、種明かしも上品なところ。
 これ、ハリウッド映画や邦画なら、絶対にラストで回想シーン積み上げるよ。
 何なら、「第三者の視点から見た別ショット」を使って。
 でも、本作はそれをしないの。
 客の記憶力を全然疑ってないから。客を馬鹿と思って作ってないから。
 ポラ爺よお、あんたのそういうとこ、大好きだわ。まあ、あんた、昔から「コテコテな映画」なんか作んなかった人だけど。
 かつ、恥ずかしいことに、俺があんたの映画である意味いちばん好きなのは、あんたの唯一のコテコテ作品「おとなのけんか」ではあるんだけれど。
(「コテコテ」を定義せずに書いてるんで、ある意味「ポラ映画は全部コテコテじゃないか?」という反論は甘んじて受けますね)
(あと、十把一絡げに「親切説明付き種あかし映画」をディスるみたいに書いたけど、ごめん、ロバート・マリガンのあれとかは、ヒッチコックのあれとか、そっちにも傑作は山ほどあります!)
 
 とはいえ、本作には「親切説明」がないから、やっぱり客の中には、「よくあるジャンル映画が、よくあるクリシェ構成だけで終わっちゃった」としか思わなかった人もいるんだろうな~。
 
 ポランスキー作品をものすごく大雑把に二つに分けて分類するなら、「水の中のナイフ」チームじゃなくって、「反撥」チームのほうに新メンバーが追加されたって、ところですかね。