えいがのおと

チワワちゃんのえいがのおとのレビュー・感想・評価

チワワちゃん(2018年製作の映画)
4.2
青春が奏でる幻想は、美しくも儚い
一本の映画で完結してしまうくらいの、ドラマチックでありきたりな日々があった。


そういえば消費者金融のCMで、一斉を風靡した犬種だったかと、この映画を観て思い出した。

チワワ。

割り箸を折るくらいの力で殺めてしまいそうな、か弱い犬。
見つめられると、判断力が鈍る不思議な能力を有している。

だけど、そんな犬が人気だったことは、今日までもう忘れていた。

同じようなことを、僕らは日々繰り返している。



大学生ほどの年齢の男女。
現代を夢見たり、夢と自覚したりして生きている。
そんな彼らの元に現れたのが、チワワちゃん。
憎いけど皆んなを魅了する彼女は、あっという間に彼らの中心になっていく。

そんな彼女が死んだ。

なんだったのだろう。
掻き乱すだけ掻き乱した彼女の正体は。


社会に出る前のモラトリアム。
若者が何者かになれるかもしれないという可能性を願い続けるのは、いつの世も同じ。

チワワちゃんは、そんな彼らが憧れる輝き、そのもので、そして、僕たちにとってのCMのチワワ同様、あっという間に忘れ、数年後「あぁそんな奴もいたねぇ」と話される存在であろう。


クラブミュージックと共に、原色系の映像が続く本作は、劇場に足を運ぶ層の青春とは一見、一致しないかもしれない。
しかし、そこに流れる若者ゆえの無邪気さはオールジャンルに共通し、普遍的なはずだろう。

チワワちゃんの死を除けば、決して大きな出来事は起きない。
であるから、表現力とのアンバランスがないとは言い切れない。
しかし、どこにでもある小さな出来事は、個人に落とし込めば大きな出来事となり得る、とりわけ青春時代ば特にそうであると考えれば、腑に落ちるのではないか。



もしかすると、いや、恐らく確実に、数年後この物語を正確に思い出すことはできないだろう。
あぁ、そんな映画もあったねと言うのが関の山のはずだ。
でもだからこそ、この映画は、どこにでも落ち得る青春の一幕を巧みに描いていると言えるし、また、鑑賞時に一種のカタルシスをもたらすのであろう。