ぶぶこ

プロミスのぶぶこのネタバレレビュー・内容・結末

プロミス(2001年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

この映画は、簡単に言えば、イスラエルとパレスティナの少年少女が「対話」するまでを追ったドキュメンタリーです。似たような試みを、NHKスペシャルで見たことがありますが、NHKスペシャルは、もうちょっと年齢層が高かったです(テロの遺族が中心でした)。
今回の映画は、下は8歳から上もローティーンまでで、「子供」は「嘘」をつけない人を指すのであれば、まさに「子供」の本音が満載の映画でした。彼等は言葉を余り飾らずに「話し合ったってしょうがないよ」とか「イスラエルは神に与えられた土地なのだから、一人残らずアラブ人は追い出してやる」だとか「積極的に友人になろうだなんて思えない」など、直截的な言葉が目白押しでした。映画はそんな子供達を数年に渡って追いかけ、彼等が少しずつ大人になって行くに連れての微妙な変化も余さず記録していました。ここがこの映画の大きなポイントの一つだと思います。

この映画で強調されているのは、イスラエル側、もしくはパレスティナ側の「多様性」です。「追い出せ」「殺せ」という人から「話し合わなければならない」という意見まで様々です。特に、「追い出せ」「殺せ」なんて思っているのはごく一部なのです。
イスラエル側でも、「超正統派」と呼ばれる一派(ひげやもみあげを伸ばし、黒い帽子をかぶって「嘆きの壁」で祈りを捧げるようなグループ)は、他のイスラエル人からも、一種特別扱いされていることなどを僕はこの映画で知りました(例えば超正統派の子供は徴兵の代わりに神学校に行くだとか。世俗的な家庭で育ったユダヤ人の子供は彼等の様子を見て「アラブ人より怖いかも」なんて言うのですから、内部の多様性、下手をすれば乖離は結構深刻です)。

この映画で印象的な箇所はいくつもあるのですが、思い出すままに羅列すると、

1)入植地のかたくなな子供
ヨルダン川西岸の入植地(ベイト・エル)に移住したイスラエル人の子供がいるのですが、彼は非常に保守的な信仰の家庭で育てられており(ほとんど超正統派。安息日の過ごし方など、日本人からすればびっくりさせられます)、インタビューの際にはトーラー(律法)の巻物まで引き出して、「この土地は神がアブラハムにくださったものだから、僕たちユダヤ人のものだ」などというのです。彼は「軍の司令官になりたい」「アラブ人は全員ここから追い出す」「流れ弾が外に出ても、そこにいるのはアラブ人だから関係ないさ」などといっていたのですが、数年後の彼は、エピローグで、ほんの少しですが「アラブ人達と向き合わないことには平和は来ない。まあ、それは大人のやる仕事で、今の僕にはできないけど」というようなことを言っていました。この、ほんの僅かな歩み寄りが大事なのだろうと、印象に残りました(まあ、それでも彼は典型的な右派ユダヤの考えかたは保持したままなんですが。友人をテロでなくしていることも、彼のかたくなさに手を貸している、という個人的事情もありますが)。

2)孫に「神様はいるって本当に信じているの?」と聞かれて困る祖父
この映画の中心人物である双子の兄弟ダニエルとヤルコの祖父が、上記の質問をされて、非常に困った顔をしていたのが印象的でした。この祖父は、ポーランドからホロコーストを逃れてイスラエルに移住してきた人らしく、まさに「神も仏もない」地獄からの生還者なわけで、そんな人が素直に「神の存在」を信じたりする事は困難でしょう。お祖父さんは「でもこうしてわしが生き残れた、というのも神様のご意志かも知れんよ」などと言って孫の追及をかわそうとしていました。この家庭はイスラエルの中でも比較的世俗的な家庭らしく(嘆きの壁の光景をこの兄弟は怖がっていました)、イスラエルの多様性をこのシーンで知りました。

3)パレスティナ少年の涙
この映画のクライマックスなので、ちょっとネタばれ気味ですが、この映画の中心人物の一人に、ファラジというパレスティナの少年がいます。彼は親友をイスラエル兵に撃ち殺されたり、自身もキャンプ生まれのキャンプ育ちという、典型的な反イスラエル感情を持つ少年です。この映画の監督で、ユダヤ系アメリカ人であるB.Z.ゴールドバーグの仲介によって、この少年達と、上記の双子の兄弟の対面が叶うのですが、一日一緒に遊んだ後彼は泣きます。「(アメリカ人である)B.Z.が帰っちゃったら、僕たちの間を取り持つ人間はいなくなり、友達になったこともすぐに忘れてしまうんだ」と。ファラジの涙は当然感動的なわけですが、それ以上に考えさせられたのは、「仲介者」という存在です。双方の事情に通じ、双方に意見を言える存在(監督のゴールドバーグは、ヘブライ語もアラビア語もできる人物です。この点は大きい)。「仲介者」という役目を、果たしてどんな人が担えるのか、と思うと考えさせられてしまいます。

4)パレスティナの少女
サナベルという少女がでているのですが、彼女の父親は、裁判もなしでイスラエルの刑務所に拘留されており(パレスティナ解放人民戦線(PFLP)のメンバーだから)、母や姉と共にいつも手紙を送ったり、面会に行ったりしています(映画撮影終了後、彼女の父親は釈放されたそうですが)。
彼女はパレスティナの伝統の舞踊を学ぶグループに所属したりして「民族意識」を常にいわば「身につけるような環境」にいるのですが、そんな彼女が「イスラエル人の男の子とお話ししましょう」と柔軟な姿勢を見せるのです。そこにも感動してしまいました。


車で20分足らずの距離なのに、「検問所」のせいで、絶望的なまでに隔てられている二つのグループ。通学のバスに乗るたびに、テロを恐れなければならない現実。しかし、双方とも、そんな事態にはうんざりしています。そのうんざり感を良い方向に持っていけないものでしょうか。

この映画のタイトル「約束」は何の約束かはよく判りませんが、この映画に出てきた少年少女が「将来再び対話する約束」なら良いな、と思いました。本当の「Promised Land」は、その「約束」が果たされた後にやってくるものなのでしょうから。
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