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生きたいのkuuのレビュー・感想・評価

生きたい(1999年製作の映画)
3.8
『生きたい』 
製作年 1999年。上映時間 119分。
新藤兼人が、最近よくぶつかる『姥捨て山伝説』と現代の高齢化社会における老人がおかれた現状を交錯させユーモラスなタッチで描いた“老い”がテーマの社会派人間ドラマ。
主演に三國連太郎、ヒロインに大竹しのぶ。
その他柄本明、麿赤兒、津川雅彦、六平直政、大森南朋など。
宮崎美子(旧芸名の宮崎淑子)に菊地百合子こと菊池凜子の初出演映画。

70歳の安吉は、妻に先立たれ、40歳になる嫁ぎ遅れの長女・徳子と暮らしている。
長男、次女は家を捨てたも同然で別居しており、躁鬱病の徳子だけが父の世話をしている。
徳子は自分が婚期を逃したのも病気になったのも父のせいと言ってはばからない。

三國連太郎は個人的には『釣りバカ日誌』の優しいスーさんの御老体イメージがあるし、失禁を繰り返す老人を演じてても違和感はなかった。
しかし、先日、近所の良くお話しするマダム(小生が勝手に心ん中で名付けてるあだ名の老齢の御婦人)と俳優さんの話をした折り、三國連太郎は若い頃は濃い顔立ちで知られる怪優だったんだとしきりに云ってた。
調べてみたら、若い頃はハーフだと都市伝説にもなるほどゴッツ男前で驚いた。
黒々とした豊かな髪、通った鼻筋、大きな瞳に加え、180㎝近い高身長の持ち主やし、ハーフだとしても納得できます。
しかし、肛門括約筋の機能や直腸の感覚が低下し、便意を感じにくくなることが原因の便失禁(糞漏らし)を今作品で披露する演技をしてましたが、流石、怪優。
画面の外まで臭ってくる程の演技に脱帽でした。
一方、躁鬱病のオールドミスの娘を演じる大竹しのぶも、これまた怪優然で応戦する形で、家族物語を老人ホームに入れるか入れないかでドタバタを見せてくれました。
また、『姥捨山伝説』を別物語として撮ったものを要所に入れつつ展開。
いわゆる御老体をどう扱うかと云う、かなり痛いところを玖ノ型煉獄並みに痛烈に突く、切れ味鋭い映画になってました。
最近ある深刻な作品と云うより、今作品は皮肉ちゅうのがベースで展開されてました。
今作品で見るべきはやはり2人の演技怪演妖術の闘い笑。
タイトルの通り『生きること』に強い執着を示す御老体と鬼舞辻無惨並みに鬼気迫る娘さん。
執拗なまでにキャラを立たせた設定で、これだけでも相当に灰汁が強く映画だけど、キャラが魅力的に引っ張ります。
物語以上にこの人物の色づけこそが真骨頂と云える作品でした。
特に、個人的には大竹しのぶの演技は天晴れで、とりわけラストのほうの三國連太郎との対比を含めて必見かと思います。
大竹しのぶは、振り返ってみればなるほどの実力派女優で邦画でもっとご出演してほしいと切に思いました。
重すぎる作品なんかなぁと思いつつ再生しましたが、確かにテーマは重いのですが、新藤兼人監督はそれを笑いに変えてる、吉本新喜劇と云うよりも、松竹新喜劇のような感じの作品に仕上げてました。
新藤兼人監督が、老いの問題に無関心な若い人たちに、笑って考えてもらおうとしていることが伺え嬉しくなりました。
躁鬱病を繰り返すデフォルメされた長女・大竹しのぶは、コメディとして、三國連太郎の若かりし日に負けてない(多分)怪演だと思います笑。
三國連太郎演じる主人公の安吉と長女は水と油で、そこが面白い。
でも、きっと昔の父親って、娘のことになるとこんな感じやったんかな。
一緒に寝ようとして変態ジジイ呼ばわりされるシーンは今でもありそうかな。
安吉を見守る人情味のある医師を柄本明が好演していました。
とは云え、終盤の展開は感動的でしたが個人的には物語の落とし所はイマイチやったんが残念でした。
『老いることも死ぬことも
人間という儚い生き物の美しさだ
老いるからこそ
死ぬからこそ
たまらなく愛おしく尊いのだ』
と煉獄 杏寿郎の言葉を思い出したかな笑。
今を大切にしながら、ベストな形で年を重ねることは可能やし個人的にはそう生きてるかな。
ラストシーンのシンボリックな描写は賛否あるやろけど、新藤監督の炎の呼吸(全集中)が込められてんのやろなぁ。
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