半兵衛

女渡世人 おたの申しますの半兵衛のレビュー・感想・評価

女渡世人 おたの申します(1971年製作の映画)
4.0
任侠映画の内容は実録路線を除くと9割は「正義のやくざが堅気をいたぶる悪いやくざを倒す」というもので、この映画もそのパターンに則っている。
この作品でも主人公の女小政は本来なら頼まれていた博奕の借金の取り立てとその相手である弱者である船宿の主人たちとの間で苦悩し、結局悪人の謀略により船宿の主人を殺され、彼女はこの映画の悪党で本来なら取り立てを依頼した親分やその仲間に牙を向く。しかしその結果彼女はやくざの本分を逸脱し指を詰める羽目になり、守るべき堅気の人たちからは女やくざと差別されたりと世間のはぐれものとして追いやられてしまう。彼女に味方するアウトローが「自分は死んだ人間」と語る渡り床職人というのもこの映画の特徴をよく表しており、二人の道行きシーンが通常なら直後の乱闘を盛り上げるのに対し、ここではまるで死の世界に飛び込むような悲壮さを帯びている。悪党との乱闘シーンもカタルシスがなく、かえって主人公二人が行き場を無くしていることがわかる。小政と船宿の親方の妻である三益との疑似母子のような関係も切なく(親方の妻は小政を息子の嫁と誤解しているのが小政を更に苦しませる)、だからこそ単なる善人だと思っていた三益が思わぬ告白をするシーンで任侠映画の枠を越えたドラマを生み、そしてそれを乗り越えた二人がラストで皮肉にも親子同然の関係になるのが悲しくなる(藤の「お母さん」という叫びも見事)。
そしてこの映画のおそらく制作者が一番意図しているところは女盛りを向かえた藤純子の美しさで、彼女が悪化する状況に見悶えれば見悶えるほどその美しさが映えていく。「緋牡丹博徒」では女神的存在だった彼女がここでは堕ちていく女神となり、ラストで髪をほつれながらの乱闘もそれを象徴している。ただし性的なところを一切見せずに描くところは巧いというか、藤純子に理想の女性像を密かに見出だしていた山下耕作らしいと言うべきか。
半兵衛

半兵衛