何をぶち壊したいのかも、どんな映画を撮りたいのかも解らない
でも、監督には成りたい
自分が何をなしたいのか解らない。別段、何かを成したい訳でもない。でも“何者か”には成りたい
いかにも若者らしいめぐみの姿にどこか救われた気がしたのは
当時(僕は勝手に60年代70年代を日本の多くの若者たちに力が、活気があった時代なんだろうなーと思っている)の若者でもそんなことを思って生きていた人がいたのかもしれないと思えたからだ
若松に誰に刃を向けたいんだ?何をぶち壊したいんだ?と問われキョトンとするめぐみ
結局、自分の中に何も無いのなら他者から貰うか、奪うしかして詰め込むしかない
そうして彼女の中に宿ったもの、彼女が突きつけた刃。その矛先
エンドロールが流れる頃、僕の腹の中から泣き声が聞こえてきた
何も居ないはずなのに……
そうして僕もまたまだ空っぽの人間だと気づかされる
……
僕は腹が、腹が減ったぞー!