ケーティー

騙し絵の牙のケーティーのレビュー・感想・評価

騙し絵の牙(2021年製作の映画)
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終盤で、現実味のない嘘が続いて失速したのがもったいない。カットバックを使ったオープニングを始め、終盤手前までのテンポある展開は今の時代向けでいい。


冒頭のカットバックによるテンションの上げ方や、終盤手前までの軽快な構成・演出は、主人公のキャラクターともあっていていい。小説の原作ものをこれだけテンポ感をもって再構成したところはすごいし、逆に小説は絶対同じではできないから(映画の作り方が単に小説をなぞっただけではないのは明らかだから)、原作が読んでみたいと中盤まで思ったほどだ。(※)

具体的には、とにかく色んな人に書かせる雑誌の編集シーンが面白い。もっと奇をてらったゴシップ誌的なことを最初からやるのかと思ったら、意外とコンテンツ重視で色んな人に書かせるところなど、実際に何を書いたかわからなくても、その口説く様子や周りの反応を見せるだけで、面白いのだ。

しかし、終盤で映画は失速する。それは、突然企業もの・会社ものの感が強くなり(もちろん、それまでも出版社を描いた映画なのだが、芸術家のプライドやエンタメの作り方がメインで池井戸潤や山崎豊子の描く会社ものとは異なる)、オチがあって、そのオチにさらにどんでん返しがあるのだが、どちらもあまりにも現実的ではない展開で、急にスケールの大きい話しになり、観客の心が離れてしまうのである。

編集の面白さがあっただけに、その世界の中だけでうまく展開したほうがよかったのではないかと感じた。
また、本作は主人公自体にどこか作り物感がある。あまりにも超人的でそれは魅力的なのだが、その作り物の人物に、現実ではありえないような作り物のオチが乗ってくるのでどこか乗りきれないのだ。もし後半の企業ものとしてのダイナミズムの面白さをやりたいなら、やはりこういうのは山崎豊子はうまいのだなと思わせる。山崎豊子の作品は、綿密な取材に基づいているのもちろんだが、一般人から見るとエキセントリックな展開も多い。しかし、そうした中で観客の心が離れないのは人物のリアリティだろう。「華麗なる一族」の万俵大介の行動など、かなり過激なところもあるのだが、根底にある(親子の)嫉妬や葛藤は身近にある感情で、そのあたりを丁寧に掬い取りハイライトするのが抜群にうまいのだ。翻って本作は、どうしてもそのあたりの感情の描写が弱く、終盤は展開ばかりが目立って、感情の伏線が十分に描ききれていないことが目立ってしまい、惜しまれる。

正直なところ、もっと編集の話として、そこはラストまで飛躍せず一定の世界の中で話を続けた方が本作はよかったように思う。
例えば、映画の終盤まで、消えた作家探しがフィーチャーされるが、その正体が初めから出ていた人物ではなく、ミステリーの構成になっていないことなど惜しまれる点であり、そうした伏線と回収を編集の世界の中だけでも、もっと絡めさせることで面白くする方法もあった気がする。もっとも、製作側にオールスターキャストで一人でも多くの有名な俳優に出てもらえる構成にしたかったという意図があったのかもしれないが。

もっとも本作を編集のお仕事ものとしてみた場合、先述したように面白さはあるものの、やはり、「マルサの女」や「ミンボーの女」など伊丹十三監督作品の爽快さに比べると弱いわけで、改めて古い傑作のよさやうまさを思い出すことになった。

ちなみに、本作を観るとたこ焼きを食べたくなる。帰りに銀だこを買ってしまった。


※しかし、後ほどオチにがっかり感があり、原作を読むまでもないなと思ったのだが、原作はオチが同じなのかも気になる