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旅のおわり世界のはじまりのharunomaのレビュー・感想・評価

旅のおわり世界のはじまり(2019年製作の映画)
1.0
ショットのおわり映像のはじまり

溝口と小津という映画監督を超える
純然たる映画作家の誕生! 黒沢清
かの世界の始まりへの旅は (本当に嫌味なタイトルだねKK 君のは)
前田敦子によって腐乱スとともに彼方へ逆行。これはジョージ・サンダースと一台の車と古代の遺跡すらない、感化=世界からの切り返しが外部なしに内在化され、反転された認知症作家の一人イタリア旅行なのだ。映画作家とは印象の自由を自身にだけ許し世界を謳歌するアウシュヴィッツ以前の人間のテクネー。濱口竜介の引用符のみの牛腸茂雄の召喚と同じアティチュードよろしく
サウンド・オブ・ミュージックはお前たち映画作家の死とともにあるのではない。
名を呼ぶが切り返されない
貝殻を投げるかつてのあの少女は大観峰でなにを見ていたのか
海流から山頂へ

「クロースアップを撮るということほどたやすいことはない」
ロベルト・ロッセリーニ『作家主義』

JDを超えた満蒙クロースアップは横長の棺桶に詰め込まれた鮟鱇の真正面にしてつるぺたのアニメだが アニマ(魂)はそこで息をしない そこに水気があれば 、そう 
大津波がくる。(『ユリイカ』)
はずであった。ヒアアフターを再び、べレジーナを三度 
大きな鳥にさらわれないよう
ポニョよ、活劇よ
ドレミファ娘2はルノワールとわたしとAlohaとともにある


鑑賞後(結局30分で退席)
冒頭3分くらい 湖に入るまでのショットはよかったと思う
つまり前田の正面の顔が出るまで

鮟鱇と小鳥をまぜあわせたような前田の顔、正面では余計にひらぺったくあまりにも重心のない華奢な体つきは映画女優としては類例をみないというか、その身体に歴史はなく、やはり映画女優ではない。浅薄で知性が微塵もない彼女のキャラクターは15歳くらいの女性が演じていれば説得力を持ったと思う(市場にいた体格のいいウズベキスタンの女性たちの方がどんなに魅力的だろう)
黒沢はオリヴェイラ、小津、相米のヘリティッジを忘れた。

ファーストショットと声。子どもと戯れているガラスに映る女性の影が前田敦子であればどんなによかったことか(おそらくウズベキスタンの民家を借りて前田は身支度をしていたのだろう。傍若無人な彼女は、声にも人々にもまったく関心がない、来るべき声たちのために)

その声は「声」と云うよりも、
寧ろ一層深い「沈黙」であって、
今宵のこの静けさを更に神秘にする情緒的な音楽である。
谷崎潤一郎「母を恋うる記」

町の遊園地、絶叫マシーンのレポートシーンが10分もある。マジで馬鹿だ。前田敦子は超絶平面ブスすぎる。VFXで顔に立体感出せよ。黒沢清の六甲町の遊園地、絶叫マシーンのレポートシーンが10分もある。マジで馬鹿だ。前田敦子は超絶平面ブスすぎる。VFXで顔に立体感出せよ。黒沢清の六甲高校時代のいなたい初恋少女への憧れなりコンプレックスなりをまとめて凝縮してノスタルジーに浸りました。いろいろ窮地に立たせて前田敦子撮るの楽しいっすみたいな。お前はぴあフィルムフェスティバルか? 今世紀最大の愚作。Seventh Codeにはまだ活劇とショットの政治学があったし、鈴木亮平もいた。ドレミファ娘2でなかったのは本当に残念ではあるけど
まぁ黒沢さんのこの下地を作ったのは、去年の濱口さんなり三宅なりではあるのかなと思います。
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