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旅のおわり世界のはじまりのマチのネタバレレビュー・内容・結末

旅のおわり世界のはじまり(2019年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

 テレビ番組制作のため、ウズベキスタンを訪れロケを行う撮影クルーとリポーターの前田敦子演じる葉子。期待した幻の怪魚は見つからず、尺も足りないために、現地の大衆食堂、現地の小さな遊園地、と次々に(おそらくアポなしの)取材を行っていく。葉子にはミュージカル俳優として舞台で歌う夢があり、トラブル続きで過酷な取材を続けていくなかで、自身の抱く「夢、希望、憧れ」と、自身の「今置かれている現実」とのズレを感じる、といったあらすじ。

 映画の中で葉子は少数のクルー達とは仕事以外に同じ時間を共有せず、柄本時生扮するADに「葉子さん夕食は?」と聞かれ、「勝手にとります。バサールに行けば何とか(自分で食べるものを買ってこれる)」と、ひとりでパンフレットや地図を見ながら、バザールへ買い物に出かける。

 信号のない車道を横断したり、狭いバスの中で物珍しい日本人として周囲からの視線にさらされたり、腕を掴む客引きから逃げたりと、観ている側に危険を予感させながら葉子は移動する。なぜそんな人気のない道を選ぶのか、そんな地元の人しか行かないような土手みたいなところを下るのか、暗がりにたむろする男たちをいかにも逃げ出すように横切るのか。見ているこっちがヒヤヒヤする場面が多い。「こんな不慣れな土地ではクルーと離れたら危ない。もうひとりで出歩くのはやめて」と、観る側から心配になって声をかけたくなる。

 ただ、この葉子の何度かある一人行動のシーンがこの映画の魅力になっている(特に葉子とナヴォイ劇場との出会いはハイライトのひとつ)。葉子扮する前田敦子は、ウズベキスタンの雑踏と喧騒を歩いて抜けるといった単純なアクション演技に様々な感情や気分を滲ませている。葉子から伝わる不安感、孤独感、他者への不信感、意思の強さ、頑固さ……歩くだけの演技で複雑な内面を観ている人に伝えることができている。

 終盤、現地警察に「あなたはなぜ私たちの話を聞こうとしないのか。」「そんなに私たちのことが怖いですか。」「あなたは私たちのことをどれだけ知っているのですか。話し合わなければ知り合うことも出来ないのではないですか。」と言われ、葉子が涙ぐむ印象的なシーンがある。これらのセリフの時に「あ、これは少し説明的じゃないか」と脊髄反射的に思ってしまった。それは脚本に不満があるといったことではなく、それまでに葉子が言葉としてではなく、彼女の行動や動作により全て語られてきたと思ったからである。

 現地警察のセリフを聞く前にもう十分に伝わっていた。「前田敦子がセリフではなく、あの寂しそうで不機嫌そうな態度を用いて十分に伝えていたのに」と思った。そして彼女はこういった感情を身体動作に乗せて表現ができる素晴らしい女優だということが分かった(身体能力もとても高いと思う)。

 最近少し思うのが、泣き叫んだり、暴力的な立ち振る舞いをしたりするエモーショナルな役柄を演じることが「良い演技」と褒める人が観客側に多くなった気がする。それは90年代以降の二次元の声優や2000年代以降の仮面ライダー俳優・2.5次元俳優のデフォルメした演技の汎用も関係しているのかもしれない。あるいは誰でも簡単に意見を発することが出来る匿名掲示板やSNSの普及によるところもあると思う(分かりやすさの重視、話題になることの重視)。ただ、生身の俳優の演技には特別な感情表出や特異行動に頼らず、人間なら誰でも出来そうな話し方や動作を、誰にも代わりが効かない話し方や動作に変換させることについても評価をおくべきであると個人的には思う。前田敦子のように人混みや砂ぼこりの中を無言で歩いて葉子という人間の性格や心情をここまで鮮明に表すことは簡単にできるものではない。

 「トップアイドルグループ不動のセンター」である期待に応えるための、影にあった努力とプレッシャーは並大抵のものではなかっただろう。普通の俳優の何倍も「練習」「稽古」というものを行ってきて、何倍も客席で生の歓声を浴びてきた。稀有な存在だとは思う。私はアイドル時代の彼女をあまり興味を持って見ていなかったため、当時は単純に「他にも可愛い子やスタイルのいい子がいるのに」と思いながら正直見ていた。ただ、この映画を見て、あの巨大グループのなかで不動のセンターでいることができていた理由が少し分かったような気がする。彼女は煌びやかなオーラの中にも、常にどこか翳りがあり、劇中でも心開いた笑顔でリポートも出来れば、他人に話しかけられたくないオーラを纏って座っていられたりも出来る、光るものもあれば影もあるといった「輝き」だけの人ではなかったからこその存在感が当時からあったのではないだろうか。映画が光と影によって成り立つものであるならば、光と影を内包できる彼女は最高の映画女優の一人と言っても過言ではないとさえ、この作品を観て思った。

 ラスト山頂から遠くの頂に見えたオクの姿を見つけ、「心の底から湧き上がる感情」を用いて歌いだす葉子についに涙が抑えられなかった。ウズベキスタンの美しい風景もさることながら、一人の素晴らしい女優の演技と存在によって映画の大半が語られてきたことに感動した。こちら側からも女優前田敦子に「賛歌」を送りたいと思った。

※このレビューは以前「note」に載せたものを転載したレビューになります。
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