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ア・ロンリー・ヒーロー(英題)
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『ア・ロンリー・ヒーロー(英題)』に投稿された感想・評価

イタリア版BD。23-108。タイトルの「l'intrepido」は「不安のない男」という意味。否定の接頭辞「in-」に形容詞「trepido」(不安げな、心配している、揺らいでいる)が続いた形。

アントニオ・アルバネーゼが演じるアントニオ・パーネ(Pane)は、まさにパン(Pane)のために「誰かの仕事を代わりをする」(rimpiazzare)のが生業。はやい話、非正規労働者(プレカリアート)の急な欠勤を穴埋めするための要員。プレカリアートを助けるプレカリアートであるにもかかわらず、いつ笑顔でどんな仕事でも卒なく大胆にこなしてしまう、その意味で「不安ない男 l'intrepido 」なのだ。

舞台は現在のミラノ。最初の仕事は高層ビルの建築現場。作業員の一人の代わりをして、とんでもない高所での鳶職をするはめになる。ところがこのシーンはどこか妙だ。長い棒を二人で運ぶのだが、アントニオは棒を後ろから運ぶはずが、進んでゆく棒に後から追いつく。もう一人はその先端を持って進んでゆく。え?そんなはずはないだろう。まるでマンガじゃないか。

そう、マンガなのだ。アメリオは明らかにチャップリンを意識している。アントニオ・アルバネーゼは、いわばプレカリアートの時代の太り気味のチャップリン。だからミラノ方言やいくつかの方言を流暢に話すだけではなく、アルバニオ語も理解する。パーネという名前だが、食べるためというよりは、ただ朝起きて髭を剃って出かけるために(!)、困った誰かの代わりをしてどんな仕事でもこなすのだ。

英語のタイトル「a loney hero」は、そんなアントニオの仕事ぶりを言う。困った人を助けるヒーローなのだけれど、誰から感謝されるでもない。だから孤独なヒーローというわけだ。

そんなヒーローのアントニオが案内してくれるのは、ミラノをささえているさまざまな仕事。路面電車の運転手、ピザの宅配人、お針子さんたちの仕事場、『自転車泥棒』のような広告貼り、サンシーロスタジアムの掃除人、ミラノの魚市場の掃除人など、プレカリアートの世界を連れ回してくれる。

その意味でこの映画の主人公はミラノ。有名な社会センターの「レオンカヴァッロ」なんかも登場するし、今のミラノの新しい姿が、そのプレカリアートや移民の問題とともに浮かび上がる。

けれどもアメリオは、ドキュメンタリーとして社会的な告発をするわけではない。あくまでも映画として、デ・シーカ&ザヴァッティーニが『ミラノの奇蹟』(1951)のように、寓話のスタイルに訴える。『ミラノの奇跡』が、ザヴァッティーニの原作の題名にあるように、「善人トト」を描くのなら、アメリオが描くのは「善人アントニオ」なのだ。

それにしてもなんという見事な映像だろう。なんという落ち着いたショットだろう。カットを割らない長回しは、おそらくテレビやジェットコースター映画に慣らされた目からすれば眠くなるかもしれないけれど、映画館の暗闇で良質の音響に包まれながら没入することで、現代のせせこましい時の流れがふっと速度を落とし、忘れていた感情や、見落としていた傷の痛みが、少しずつ浮き上がってくる。

そのひとつひとつに、我らが善人アントニオは微笑みかると、あの悪人の痛風で赤く膨れ上がった足にそうしてように、そっと手を差し伸べてくれるのだ。しかし、善意がかならずしも報われることなく、助けたい命も助けることができない。チャップリンなら助けられただろう。しかし現代の善人はそのマンガ的な超能力をもってしても、あの繊細なルチア(リヴィア・ロッシ)を救うことはできなかったのだ。

しかもアントニオは、あの奇妙なボクシングジムのボスのところで、その子分とおぼしきいかがわしい男から、父親のところに子どもを連れてゆく仕事をたのまれるのだが、ビガッツィの美しいカメラが遠景にとらえるのは、青ざめて哀しげな男の子が、その父親にしては良すぎる背広を着た老紳士のもとに近づいてゆくところ。さすがのアントニオもなにかがおかしいと気づく。それはまさに『小さな旅人』(1993)でロゼッタとルチャーノの兄弟に起こったことの反復だった。気づかないうちにアントニオは幼児売春の片棒をかつがされていたわけだ。

それでも寓話はあくまでも寓話としてハッピーエンドを求めるもの。そしてアメリオの映画にしばしば起こるように、そのラストシーンこそが映画制作の出発点として構想されたもの。

ぼくたちがそこにアントニオ・アルバネーゼのサックスの演奏を聞くとき(これは本人の演奏だったという)、そのメロディーラインはナットキン・コールの『ネイチャーボーイ』。サックスの響きが、聞こえない歌声を響かせてくれる。それはこんな言葉。

There was a boy
A very strange, enchanted boy
They say he wandered very far
Very far, over land and sea
A little shy and sad of eye
But very wise was he

And then one day,
One magic day he passed my way
While we spoke of many things
Fools and Kings
This he said to me:

"The greatest thing you'll ever learn
Is just to love and be loved in return".

https://www.youtube.com/watch?v=Iq0XJCJ1Srw