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ブラック・クランズマンのapapattiのネタバレレビュー・内容・結末

ブラック・クランズマン(2018年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

ゲットアウトを勧めてくれた方からこちらもとみた作品。めちゃ良かった。
プロデューサーのジョーダンピールで方が同じなんですね。エンドロール後にカップをステアする演出が入って、ん?と思ったのはそれででした。

こちらは1970年の実話が元になってるとのこと。が、黒人がエンパワーされて白人が被害者意識を持ってること、黒人と白人の間に分断があること、というのはテーマとして通底してるものと思います。

なんか黒人ヒーローモノの演出が入るな、と思ったら当時も黒人がヒーローで白人をやっつけるという勧善懲悪もあったそうで。その前に1915年の國民の創生というKKKを礼賛する映画もあったというのもまた、どっちもどっちという比較になっめいる。

スパイクリーはオールドボーイでしか知らなかったので、失礼ながら人種差別をメインテーマにした方だと知らず。

非常にバランスの取れた丁寧な脚本だなと思う。ブラックパワーとアメリカファースト、交互にシュプレヒコールを上げる様子は、相容れない様子を映している。加えてユダヤ人というもうひとつ目に見えない要素を加え、人狼と市民、妖狐のような正体隠匿のゲームのようになっている。

事件のラストはえっ?という感じで、まさかの闇に葬られる指令であったし、それに対して白人に自分の正体をバラして終えるというこれまた黒人の強さを見せつけなエンドだった。解説記事で色々見てあーとなったけど皮肉な構図としてらしく、コメディとしての質は上げつつ反面教師的にアンチテーゼをぶち込むというめちゃくちゃ複雑な内容らしい。あの闇に葬るところも史実なのかな?とかは原作小説読まないとわからないですね。

というかこれまた恥ずかしながらユダヤ人ってアメリカでも迫害というか、差別の対象だったのねという知識が増えた。ナチスに対する憎悪であれば、むしろアーリア人に対する悪感情が増しそうな気がするのだが、キリスト教という立場では共通しているということなのか?白人プロテスタントという立場においてはナチスもKKKも同質なのか?
と思ったが、実際のところ彼らの中で相反するところはなさそう。第二次世界大戦下においてのKKKは一体どういう働きをしたのだろうか。

実際のところ、ラストの2017〜18の映像が言いたいことだったという話。これはなかなかすごくて、爆弾こそ登場してないけど暴動がたくさん起きている。ただわけわからなくなったのが、デモしてる人の中に黒人もいたし、黒人を守れ!とも言ってるし、具体的にユダヤ人の反対デモめたいなのはあったけど、どの暴動が何を敵とした何なのか追えなかった点。みんな誰と戦ってるんだ?

一つだけ意図が明確にわかったのがトランプの映像で、白人至上主義者を擁護するような発言があったというところだけである。確かにこれは明確に怖い。支持者ではあるんだろうけど。当確できちゃうってことは国民の優生思想は過半数なの?というような違和感はある。とはいえ中庸な人だけが事を成せるのかとか、言及するにはやや知識不足ではあるが。

結局KKKは何を目的としてたのか?黒人解放学生集会は何を目的としてたのか?彼らのとりえた手段はそれぞれ適切だったのか?意味はあったのか?というのを考えると、自分も昔環境がどうこうという啓発活動というものに身を置いていた部分からは身につまされることが多い。
結局同質な集団を集め、それ以外の人たちが何を知らないか、について嘆くことは世界を変えないのだ、ということは残酷ながらそうなのだと思う。
漠然と肌の色で良い悪いを決めたり、勧善懲悪の踏み台にしたり、というのは誰しも行うけれどもプロパガンダにしかならず、それは結局扱う人にコントロールされてしまう。黒人を検挙した白人警官のニュースも、白人から見れば黒人が暴力を振るったみたいな内容に偏向されてしまってたし。

人間は愚かだね、と冷笑にふすのは簡単ながら、じゃあ自分には何ができるのか…。暴力をただただ拒否するとしたとて、ウクライナの戦争のように向こうが侵攻してきた時にただただ蹂躙されるだけで良いのか。社会のあり方というのは性善説だけでも成り立たないよなぁ。対話は重要でも銃を一方的に突きつけられたらどうする?などなど、本当に何が起こるかわからない世の中になってきてるのだろうなと思う。

バイアスからの脱却、そのための知に労をかけること、という小学生的な結論にしか至れないところではあるなぁ…。
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