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Sorry Angel(英題)のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

Sorry Angel(英題)(2018年製作の映画)
2.7
【薄花色の世界で囁かれる君の名前で僕を呼んで】
英題が『SORRY ANGEL』と味気ないので、どうか原題の方を覚えて欲しい。原題は『Plaire, aimer et courir vite(プレール、エメー エ クーリールヴィットゥ)』と美しい旋律を持つものとなっており、意味も「好かれ、愛し、駆け抜ける」とロマンチックですよ。

さて第72回カンヌ国際映画祭ある視点部門で俳優賞を受賞した『CHAMBRE212』のクリストフ・オノレ前作を観てみました。

本作のあらすじを観た時、「これって実質『君の名前で僕を呼んで』だよね?」と感じました。そして実際に観てみると、随所に『君の名前で僕を呼んで』の面影を感じました。無論、製作時期的にオノレ監督が『君の名前で僕を呼んで』を意識していないことは十分承知です。

マッシヴ・アタックの『ONE LOVE』のアンニュイなヴォイスが漂う空間に提示される俳優の名前。あまりのカッコいいオープニングに観るものは惹かれていく。そして薄花色にコントロールされた空間で、作家のジャックと彼の友人で新聞編集者のマシューとが知的な会話をします。ジャックはAIDSを患っており、また元恋人マルコに囚われて悶々とする気持ちをマシューにぶつけていることがわかります。そこに、新しい標的が現れるわけです。『ヒポクラテスの子供達』で意識高い系の痛い学生を好演していたヴァンサン・ラコスト演じる学生アーサーと邂逅するわけです。そしてジャックはアーサーにぽっかりと開いてしまった穴を埋めるために、アーサーは自分に見出された同性愛性への惑いに対する答えを求めてジャックと会うようになります。まさしく原題のPlaire/Aimerが利いてくる訳です。一歩距離をおいた、Plaire(気にいる、好かれる)から主観的積極的Aimer(好きになる)瞬間を描き、またそこからPlaireに戻って行ったりする過程を描いているのです。

本作の舞台となっている1990年と言えば、『BPM』でもフォーカスが当てられていたAct Up-ParisがAIDS問題を世に知らしめるため、過激なデモを行い始めていた時期。そして、AIDS=同性愛者のなる病気として蔑視の視線が社会に広がっていた時期。アーサーは、女性を抱いたり、ジャックから逃れようとすることで、本能を押し殺すことで社会の目線から逃れようとしています。そして、他とは違う愛に対して自分の落とし所を見つけることで愛の本質を見出そうとする様子は『君の名前で僕を呼んで』に通じるものがあります。

ちょっとゲイに対して高飛車あざといナルシズムが鼻についたのでそこまでノレませんでしたが、そのうち日本公開すると思うので(文化村かシネスイッチ銀座だと思う)是非!
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