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イメージの本のTnTのレビュー・感想・評価

イメージの本(2018年製作の映画)
4.7
常に映像の最先端を行く、そしてあくまでモンタージュにこだわり続けるゴダールの最新作。その通りの作品を今回も作っていた。そしてまた、ゴダールのノスタルジアの詰まった、いや映画とは個人史だと言わんばかりの内容だった。普通の映画はもうそこにはない。イメージと音とゴダール自身の語りの羅列が全てを占める。ただその引用の多さは流石御歳89歳、尋常じゃない知識量。さらにまだまだ最近の出来事も取り込むので、その目まぐるしさと引用される言葉とを追うのに少々疲れる。しかし、個人史的な側面で語られるそれらは、まずは一通り見るのがよいだろう。そして気になったら調べてみるとよいかもしれない。

すべてのカットがビビッドな色彩や荒れた画像処理が施されている。編集ソフトで、普通なら色調を整えるための技術が、ここでは振り切って表現側として使われている。それ故にどのイメージも表象として、"イメージ"としてスクリーン上に現れる。そこには奥行きがない。色彩に彩られたある種の平面的イメージしかないのだ。かつて映画はオーソン・ウェルズが「市民ケーン」でみせた奥行きに焦点を当てていた(とはいってもかなり昔だが)。そういった奥行きを失い、全て均質に平面のイメージに還元されている。劇中でも絵筆がキャンバスを塗るショットがあり、明らかに今作はそうした色彩のイメージで描き出した作品といえよう。

そして今作は「ゴダール・ソシアリスム」でも見せたソニ・マージュ(音と映像)の極限的な構成となっていた。カットは水、電車、殺人、火などのモチーフを中心にこそ配列されているが、その突飛さと色彩に頭がやられる。さらに音も「ゴダール・ソシアリスム」の時からさらに進化し、左右にパンするだけでなく二重に重なりあったり、またその音の切れるタイミングなど自由自在になっていた。また物語的なショットは完璧に排除されていた。ほんとのほんとにイメージの本なのだ!それにしても、やはり彼のモンタージュは見るものに「あっ!」と思わせる繋がりを見せつけてしまう。それはまるで世の中の心理を見せつけられたかのような「あっ!」である。しかし、ゴダール自身、表象が暴力的であることを留意している。劇中でも表象についての引用がいくつも述べられていた。それでも彼は現実の事件も、映画から引用してきた数々のショットも、今回のために撮られたショットも全て並列にする。デジタル化が進む中、イメージはますます均質化し今や真実かフェイクかはわからなくなっている。だからこそゴダールは今作を映画史として語っているのではなく"イメージ"という言葉を用いている。さらにこの過度な色彩がそのイメージという語を強めている。デジタルが全てのイメージを取り込むことに対して真っ先に先手を打ったのである。

佐々木敦はゴダールについての本で、ゴダールはいつでも例外的立ち位置にいると述べていた。デジタル化が進むなか、誰もが失敗でバグだと思っていた表現に率先して手をつけた、まさに革命なのだ。彼の例外的立ち位置を理解することはこの先の映画の行く末を理解することでもある。綺麗な映像を撮るとか、CGスペクタクルを撮るのも、そこには常にデジタルであるという形式があり、それを無視していては完璧にデジタルを克服できるわけではないのだ。



※少々ネタバレ
それにしても今作はかなり内的な作品になっているように思える。彼はその例外的立ち位置から常に孤独である。今作品は特に書物、映画、独白から成り立つ個人史で成り立ち、ほぼ個人作業のみの制作だったろう。その孤独という立ち位置に対して彼はある引用(誰だか忘れたが)を用いている。「人生は夢物語だ」。そして、それを嘲笑してなんになる、人生は個人的なもので孤独じゃないか!と言わんばかりの独白が始まる。左右少しずれて聞こえる声が私達を動揺させる。また途中、独白の中で咳き込みが聞こえる。そして彼は最後に希望について語り出す。孤独とは別に、彼には映画という希望を心から望んでいる。人は希望を抱き、夢を抱く。そんな彼の言葉はまさに遺言めいていて、えもいわれぬ勘定になった。ゴダールも世を去る時が来るのかと思うと、恐ろしかった。彼のこのイメージの本を受けとる人間が果たして現れるだろうか。

ゴダールがアンナ・カリーナを初出演させた「小さな兵隊」のシーンが引用されているのだが、このシーンが一番泣きそうになった。やはりゴダールはアンナ・カリーナという存在に支えられていたからこそゴダールであったのだ。だからこそラストの独白には胸迫るものがある。この世に孤独に残されたゴダールが、希望を語り、未来を託す…。
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