まさか

マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!のまさかのレビュー・感想・評価

3.5
1960年代は現代世界史、とりけわ文化史における特異な時代だ。

第二次世界大戦で破壊されたヨーロッパ各国やアジア、日本において、ようやく戦後の復興が成し遂げられ急激な経済成長が始まった時代である。

そして、経済復興は国境を超えて若者たちを沸き立たせ、それまでとはまったく様相の異なる新しい文化を生み出した。

本土が戦場とならなかったアメリカでは、早くも50年代からその萌芽が見られた。映画ではフィルム・ノワール、文学ならケルアックやギンズバーグ、バロウズらのビートニク、そして音楽ではジャズやブルースの流行に続くロックンロールの誕生。のちにカウンターカルチャーと呼ばれることになる一連の運動の土台となったのが、これらの文化的潮流であった。

やがて50年代後半から60年代初頭にはアメリカのサブカルチャーが世界に伝わって各国の若者たちを刺激し、激しく突き動かした。その最先端の舞台となった街がロンドンである。本作は世界中の若者文化に多大な影響を与えた1960年代のスウィンギング・ロンドン=ロンドン・ユースカルチャーの隆盛ぶりを、俳優のマイケル・ケインをナビゲーターに、豊富な資料映像とインタビューなどで辿ったドキュメンタリーである。

本作に登場するのは、この時代の若者文化を語る際に欠くことのできないビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フーなどのミュージシャンだけではない。女優のマリアンヌ・フェイスフル、ファッションモデルのツィギーや、服飾デザイナーでミニスカート生みの親でもあるマリー・クワント、ポップアートの第一人者デイヴィド・ホックニーから、モダンなボブカットを編み出したヘアドレッサーのヴィダル・サスーンまで多士済々だ。

それまでイギリスにおける文化の担い手であり続けた貴族階級や、その庇護のもとにあった伝統的な職人たちとはまったく異なり、労働者階級出身者が大半だった。いまだ厳然たる階級が存在したイギリス社会に、文化の側面から大きな風穴を開けたということになる。

1960年代、若者たちは世界史上初めてイギリスのロンドンで真の自由を手にしたと言えるのかもしれない。もちろん「良識ある」大人たちは彼らの生み出す文化に眉をひそめ、腐敗と堕落の烙印を押した。だが、世界の若者たちが熱狂的に支持することで、この新しい文化は大きなうねりとなって1960年代の世界を覆い尽くした。

やがてこの波はアメリカの若者たちを鼓舞し、結果的には公民権運動を後押しし、ベトナム反戦運動の隆盛を下支えすることにもなる。そうした「熱狂の」1960年代ロンドンの文化を映像で追体験できる本作の史料的価値は大きい。ただし、それらはすでによく知られたことでもある。個人的には特筆するほど目新しいことはなかった。

しかもナビゲーターのマイケル・ケインが自らの個人史を絡めながら解説を加えていくスタイルが少し鼻につくので、興醒めするところも無くはない。誰しも過去を振り返る時には、つい懐古的な表現が顔を覗かせる。マイケル・ケインもその例外ではなく、時折挟み込まれる彼のコメントには、俺の世代は良かった、あの時代は面白かった、かつては輝いていた、そんな陳腐なメッセージが意図せず漏れ出ている。

本人が、あるいは監督がもう少しセンシティブなら表現を工夫しただろうに、この点は残念だった。だが、先にも指摘したように史料的な価値は大きいし、忘れていたあの時代を思い出させてくれたという意味では面白かった。そして、この時代の動きを知らない若い人たちにとっては、新鮮に映るに違いない。
まさか

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