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タロウのバカのKKのレビュー・感想・評価

タロウのバカ(2019年製作の映画)
3.9
しょっぱなから尖りきった作品。

レビューを見ると、全く共感できないという意見が多い中、少なからず共感できてしまった自分はおかしいのだろうか。


「生きるってなに」

「死ぬってなに」


こんなことを考えたのは1度や2度じゃない。自分が生まれた境遇や環境を呪い、どうしようもなく落ち込んだこともある。

スギオが死んだ理由。なにもかもに耐えられなくなってしまったんだろう。人を傷つけ、殺し、笑っている友達にも、自分を好きと言いながらもウリをするヨーコにも、そして空っぽな自分自身にも。

自分自身が分からなくなって、そこにピストルがあったら、軽い気持ちで引き金を引いてしまうかもしれない。


人は簡単に死ぬんだ。虫けらみたいに。



これを見てて、『ケーキの切れない非行少年たち』を思い出した。彼らは、悪いことを悪いことと認識できないのだ。それはもともとの性質なのか、それとも環境のせいなのか。

少なくともタロウは、これが悪いことだと誰にも教えて貰えなかった。知る術がなかったタロウを責められるのだろうか。タロウにはどうすることもできなかった。

そんなタロウの「叫び」は、はたから見れば狂気でしかないが、タロウにとっては何も知らないという恐怖から逃げるための行為だったのかもしれない。

「自分の子供が人を殺したらどう思う??」

愛を知らないタロウにとって、どうしたら母親がこっちを見てくれるか、母親は子供を愛するものなのか、それが知りたかっただけなのだ。

「好きって何?」

タロウには、どうしても分からなかった。



菅田将暉のイカれっぷりは、やっぱ凄い役者だと改めて感じさせる。エイジは、歪んだ思考をもっているけど、どこか冷静で、自分がやっていることも理解している。

バカをやる時も、吉岡を襲う時も、その結果何が起こるか、それがどういうことなのかを理解したうえで、やっている。すぐに銃を抜くタロウを冷静にたしなめていることからもそれが分かる。

理解した上で、エイジはそれをやるしかなかった。自分の命を守るため、自分という存在がここに存在していることを自分自身に分からせるために、やるしかなかった。

壊れても、傷ついても、死んでも、エイジはそれを選んだ。


『タロウのバカ』

誰から見て「バカ」なのか。タロウはどうやって生きていくのか。
まだまだ謎は多い、、、
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