LalaーMukuーMerry

記者たち~衝撃と畏怖の真実~のLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

4.2
「ペンタゴン・ペーパーズ」や「大統領の陰謀」と同じテーマ、政治と報道の関係、報道の自由について考えさせられる作品。二つとも権力者の不正や隠蔽を新聞社の記者たちが暴きだすという実話から、民主主義社会で報道の果たす役割の大きさを考えさせる作品だった。どちらも民衆の側に立った報道の勝利を描いたものだったが、この作品は真実を報道したにもかかわらず結果的には敗北した物語だ。
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特に「ペンタゴン・ペーパーズ」とこの作品はアメリカのやった(やろうとした)戦争に関するもので、共通点が多いので比較して見るのが良いと思う。
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2001.9.11の同時多発テロの直後、ブッシュ大統領はテロ勢力への報復を大々的に打ち上げた。テロ勢力アルカイダの首謀者のオサマ・ビン・ラディンはアフガニスタンに隠れていたが、ブッシュ政権はアルカイダとイラク(フセイン大統領)が繋がっているという根拠のない誤った認識をアメリカ国民に植え付けて、イラクが大量破壊兵器を持っているから潰さなければならないと、イラク戦争の正当性を訴えた。
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そのために使ったのは主要メディア。NYタイムズもワシントンポストもあらゆる報道機関が政府の公表する情報を鵜呑みにして報道した。政府の情報が嘘まみれだと気づいて報道し続けたのは、ナイトリッダ―という新聞社だけだった・・・
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ベトナム戦争の真実を告発したワシントンポストは、政府圧力をはねのけて報道し、国民の共感を得て世論を形成できた(ペンタゴン・ペーパーズ)。しかしベトナム戦争の教訓がイラク戦争では生きることがなかった。対テロ戦争を支持したアメリカ国民はナイトリッダ―の報道には耳をかさなかった。「ペンタゴンペーパーズ」のような勝利のカタルシスがあるはずもなく、ただ無視されるだけ。報道の自由はあっても力にならなければほとんど意味がない。報道の力が失われていくとき、それはとても地味で、ことの重大性に人々はほとんど気づかない・・・、気づいた時には取り返しのつかないことになっている、だから恐ろしい。
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民主主義を守るための国民の「民度」が試されているのでしょう。アメリカだけのことでは決してなく、日本でも同じこと。報道の大半は政府機関の出す情報だ。では政府の出す情報の説明は鵜呑みにしていいものなのか? その報道は正しいのか? その報道が伝えていることと伝えていないことから見えてくるものとは? その報道はどの立場の主張にそったものなのか? 一人一人が流されることなくよく考えること、間違ったことにはNOという勇気を持つこと、その力を結集するしくみが確保されていること、そういうことが必要なのでしょう。
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ラストに、ナイトリッダ―が報道関係の賞を受賞するシーンがあったが、あれは他の報道機関が自らに反省を込めてのものだったはず。できることなら戦争を止めさせた功績に対する賞であればよかったと、ちょっと虚しさを感じたのは私だけ?
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なぜアメリカはそうまでしてイラクと戦争をしたのだろう? おそらく政府・権力者の周辺に戦争することで利益をえる人たちがいたからだ(軍需産業とか、占領下のイラク戦後復興関連の企業など)。 彼らには戦場で悲惨な目にあった人々のことはほとんど気にしていない。その一方で「民主主義と基本的人権」と表向きには声高に言うリーダー、強欲な資本主義の負の側面(=偽善)にはうんざりする。
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     *** おまけ ***
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そういえば、ラムズフェルド国防長官の記者質問をはぐらかす珍回答には笑った(日本の政治家のはぐらかしも同じようなものだけど、その場にいた記者だったら不誠実さにメチャクチャ腹立ってただろう。)

「イラクに大量破壊兵器はなかったのではありませんか?」

私たちが知っていると言うことの持つ意味には、とても興味深いものがあります
・そのことを知っているということを、知っている場合、と
・そのことを知らないということを、知っている場合、と
・そのことを知っているということを、知っていない場合、と
・そのことを知らないということを、知っていない場合、と
があるのです