新潟の映画野郎らりほう

真実の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

真実(2019年製作の映画)
5.0
【映画は私より私について識っている】


リアルじゃない。実際には有り得ない。整合性云々。御都合主義。突っ込みどころ満載 ― 映画批判に於ける最も安易簡便な常套句。

何故都合か、何故リアルじゃないのか ― その考察に向かわず 額面通り受領した挙げ句 貶し謗るのみでは、自身の無考察ぶりを告白する事でしかあるまい。

“同化”が観客の常識/現実に寄り添い共感を与えるなら、“異化”は 観客の現実を凌駕/超越し 既存常識揺るがし 新たな視座を惹起させる為にある ―お前の目に映るのが世界の全てではないのだと―。

娘:リュミール(ビノシュ)が母:ファビエンヌ(ドヌーブ)に向ける難詰『実際と違う』『真実じゃない』が、上記映画批判常套句『実際には有り得ない』『リアルじゃない』と 悉く重なってしまう妙趣。

お前が思う現実なぞ お前だけの(一方向的な)現実に過ぎず、世界にはもっと多くの現実がある。
其れに気付かず また認めようとせぬ固定観念塗れた狭量な自身の視野こそを呪詛するがいい。


撮影現場へ向かう大型ワゴン後部座席に、対面で着座したリュミールとファビエンヌのカットバック。彼女達の背後には其々“車窓外に流れる景色”も映っているわけだが、ファビエンヌのカットでは後方に過ぎて行く景色が リュミールのカットでは向かって前方へと流れてゆく―。同じ世界を目にしながら その見え方が180°異なる事の優れた暗喩である。
映画とは、その『異なる見方/異なる世界』に気付く為のものである。

その後リュミールとファビエンヌはもう一度ワゴンに乗車する ―今度は“二人共前方を向いて”―。


リュミールは云う『こんなに小さかったなんて』『こんなに外の音が聴こえていたなんて』と―。
気付かなかった世界を識る事、気付く事。立ち位置を変えれば「真実は複数形」なのだから。




【彼等は 私より私の映画について識っている】

「あの場面はこうゆう意味なのか?」― 国際映画祭に於けるプレス向け質疑応答で 記者からの予想もしなかった見解/考察について是枝裕和は後にこう述懐している ―『私の映画に 私の識らぬそんな意味があったのか』と―。

『彼等は 私より私の映画について識っている 』― 自分自身の事(作品/世界)は自分が最も諒解していると思いがちである。
然し、他者に依って自分の(気付かなかった)真実を識る事もあるのだ。

固定観念に縛られず 他者見解を認める事で、監督自身が識らなかった自分に気付く様に、リュミールも識らなかった自分〈真実〉を識る。そしてまた私も この映画に依って 私をより深く識るだろう。


映画は私より私について識っている




《劇場観賞》