せいか

ザ・ゴールドフィンチのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

ザ・ゴールドフィンチ(2019年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

10/01、AmazonPrimeにて視聴。字幕版。
母と美術館に行ったところ爆破テロによって母親を失って少年にして天涯孤独の身となった男がなんかもろもろに巻き込まれてズブズブになっていく話。
タイトルのGoldfinchは、彼が盗んで(というか、事故の回想シーンから伺うに、他人からそうするようにと与えられた呪いにも似たものとして)心の支えとしていたゴシキヒワの絵のこと。
観ていて、なんだか小説向きの話だなと思ってはいたが、同名の小説を基にしているとか。調べて思い出したけど、ピューリッツァー賞受賞作品の大長編で、気になってるけど後回しにし続けていた作品だった。そんなわけで原作は未読である。たぶん映画だとスキップされてるように感じたもろもろも小説では丁寧に描かれてるんだろうなと思う。
本作は少年期→青年期までぶっ飛んだり、また少年期に戻って間隙を埋めたりということをしている。

少年時代に事故の繋がりで骨董を修理する男のもとへ通うようになった主人公に対し、骨董の深みを男が語ってくれるところが好き。私自身、骨董が好きなので。複製品や偽物では出せない、年月を経てきたからこそ出せる味わいが骨董には詰まっている。そこにはその骨董を前にしてきた無数の人間たちというものも居る。
少年はお金持ちの元に身を寄せることになるのだけれど、そこにある骨董はいろいろなものがあるけれどまるで死んでいるというのも分かる。あと、それがまさに絵の中で永遠に囚われたままのゴシキヒワのイメージや、美術館という場所そのものが持つマイナスのイメージとも重複していて、いささか身につまされもする。

事故直後に身を寄せたお金持ち宅の家庭環境もなかなかちょっとあれだったけれど、一緒に過ごしていたいじめられっ子の少年がほんとにずっと主人公に対して優しくて、尚且つ育ちはいいのでずっとどこか品があったり賢そうなのにあんまり親から愛されている実感も持てないまま、振り回され、ちょっと寂しくしているのが可哀想だった。すくすく育ってほしい。そんなこと思ったらさっさと回ってきた青年期ターンでこの家の他の兄弟と再会して、彼は数年前に躁うつ病の父親と共にセーリングの最中に波にさらわれて死んでしまったと聞かされることになるのだけども。むごい。とはいえ、主人公自身は再びこの一家との距離が近くなるのですが。

主人公の人生は少年から青年までの間は端折られており、いよいよ金持ちの家の養子になれそうな土壇場で父親が現れて引き取られて最悪の家庭環境での生活がスタートするやもというところで一気に一旦スキップとなっていた。原作小説はどういう話の進行なのやら。
大きくなった主人公は独白いわく自分さえも騙しながら生きるすべを身につけ、良くしてくれた骨董品店で務めるようになっている。とはいえ、これだけでもたぶんここまで至るのにめちゃくちゃ苦労を重ねてきたことは十分に想像できるのだが、過去シーンは反復という形で描かれるのもあって実際サイテーだったことも描かれはする。想像通り親父は主人公が抱えている遺産目当ての底の浅い人物なので……。骨董品店へも身の破滅ついでにそのまま父親が死んだ勢いで家出してここに身を寄せることになったという経緯である。
アンティーク品をそれらしく直して純正と偽って売るという、嘘にまみれたものを仕事としているのだけれども。これによって経営が傾いていた店を立て直したりしていたのだけれど、これもまた彼の人生のほころびの一つとなる。
ドラッグも使うようになってたりとか、たとえ人生が上向きになっても既にしがらみがいろいろ出来上がって折り重なっているという救いのなさ。彼の人生はまさに呪いとして与えられたあの絵の囚われた鳥そのものに重ねられるのである。
たぶん、主人公に絵を持ち去るように勧めた人も、その絵が不死鳥のように助け出された上で骨董品のように連綿と受け継がれてきたものだから、爆発テロによって失われてはいけないと死に際の混沌とした意識の中で思ったのだろうけれど、やっぱり呪いそのものなのだよなあ。本作は『オズの魔法使い』も意識していたり、元いたところに帰るというのが、囚われるとも取れるし、もちろん好意的にも取れるし。
主人公は自分が闇に引きずり落としてしまった(=自分のせいで母親をあのときに美術館にいさせてしまったという後悔とも重なる)上に、意図せず裏の世界に流してしまいもしたこの絵を再び光の世界へと返すことで同時に爆発テロの日の美しい記憶も画面上で描かれ、彼は骨董品店に帰り、まさに好意的なニュアンスで「お家に帰る」が捉えられてはいるのだけれども。

ただ、終盤の絵を取り返すくだりで悪友が、悪の中からでも善が出ることもあるんだ、そういうのも人生なんだって言うくだり、少なくともこの映画作品においては、悪友の自己弁護にしか見えないものとなっていたので、そもそもどういうつもりでそのセリフをサビに持ってきたのか、ちょっと分かりかねる。
暗部に囚われたままもがき苦しんでいる彼を救い出そうとする言葉であるのは分かるのだけれど、パンチが弱いというか。

本作、なんか、そもそも大長編を無理やり映画化してるからそうなのか、佳作ラインにまとまってしまっているというか、妙に座りの悪い話になっているのが観ていて気になった。
小説のほうも気にはなっているけれど、本作観る限り、上下巻ならともかく全4巻だかでこれやるの、間延びがものすごくありそうに思えたので、まだ読む気にはなれないなあと感じもした。映画化作品から逆説的にそう判断するなって話ではあるけど。

ところで見ている間ずっと妙に随所に既視感があったのはなぜなのだろうな。初見のはずなのだけど。
せいか

せいか