いののん

愛がなんだのいののんのレビュー・感想・評価

愛がなんだ(2018年製作の映画)
4.3
過去の自分を愛しく思うのか、それとも、うんざりするのか、あるいは余裕で受け止めるのか。どう感じるのかはわからない。でも、いずれにせよ、過去の自分に会う。そんなつもりでいた。ところが、予期せぬことで本当にびっくりしているのだけれど、過去の自分の映画じゃなかった。なんだ、今でもそうじゃん、って。それはそれは本当に驚いた。まさかまさかの自分の感情。だから、帰り道、ざけんなよ!ばかやろう!と怒っていた。誰に?何に?


なにも私が特別なのではなくて、きっと多かれ少なかれ誰でもそうなのだろうと思うけれど、だからこんなに混んでいるのだろうと思うけれど、私のなかにも、当然のごとく、テルちゃんがいる。テルちゃんのようなことを私もした。でも、テルちゃんだけじゃなく、マモちゃんのようなこともした。マモちゃんが言ったようなことを言った。マモちゃんがイラッとする気持ちもわかるんだ。そして仲原っちのようなことをやったし言った。仲原っちが流した涙を私も流した。そして、葉子さんのようなこともした。あー、全部あてはまる。すみれさんのような格好良さはもちろんないけど、すみれさんのこともわかると思った。結局のところ、誰も彼も淋しいことも。そして、今も全部、そうなんだと思った。自分が求める人は、自分を求めない人だったり。自分を求めてこない人だから自分は求めてしまうのかと思ったり。あー、もう!!!


この映画は、愛はなんだと問いかけながら、人間の関係性ってなんだと問うているみたい。私は今でも、相手によっては、テルちゃんにもマモちゃんにも仲原っちにも葉子にもなる。相手に気を使わせないために、何周も先走って気を使ったあげく、かえって相手に気を使わせてしまったり。イラつかせてしまったり。でも自分が偉そうにキッパリしてしまうこともある。そう、相手によっては、なのだ。自分が嫌になる。自分がやけにへりくだった結果、相手を王様のように振る舞わせてしまい、王様のように振る舞う相手に辛くなったり、そうさせた自分が嫌になったり。なんだ全部、今の自分じゃん。私は、愛と執着の違いもよくわかんないけど、執着は自分の存在意義のためのような気がする。この執着を失うと、自分の存在意義がなくなってしまうような。立つ場所が、拠り所がなくなってしまうような。


登場人物たちはみんな優しい。そしてみんな残酷だ。自分も相手も傷つけないようにしながら、自分も相手も傷つけながら生きている。傷つけたことも、傷ついたことも、なるべく見ないようにして生きている。そんな姿は、やっぱり私たちの愛なんだろう。私たちの愛は、こんなかたちなんだろう。



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お酒飲めなくてやけ酒もできないから、水餃子たっぷりつくって食べきれないほど食べたい気分。うどんは自分でつくるんじゃなくて、作ってもらったのを食べたい。


仲原っちの美しさについては、「美しい星」の金星人で、いまいちど確認されたし。


岸井ゆきの、ふわふわしつつの確実に芯のしっかり通った魅力は、確信犯的な魅力でもあるような気もしてきて、もっともっと凄い女優さんになっていくんやろうな。


筒井麻里子さんや片岡礼子さんや、オトナの女の人たちが格好良かった。大丈夫大丈夫、こうなるよ、と言ってくれてるんやろうか。
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