シャチ状球体

日曜日の憂鬱のシャチ状球体のネタバレレビュー・内容・結末

日曜日の憂鬱(2018年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

去年に一度観ていて、レビューを残しておきたかったので再度視聴。箇条書きのメモから書き足してます。

冒頭、ハイヒールで躓く母親は、この人物が完璧ではないことを表している。

母親が自分の娘を8歳の時に捨てたと告白するシーン。母親の顔は影で真っ黒になって、何も見えない。彼女にとって思い出したくもない過去なのか、あるいは感情を押し殺しているのか。

レストランのシーン、母親が真実を告げようとすると実の娘が自然に遮る。母親は30年間、自分の真意を誰にも伝えられていないということの示唆だろう。

この映画、映画としての音楽が全くない。心象風景のように静寂と自然が同居している。

キアラが瀕死の小鳥を殺すシーン。抱いて撫でて、そのあと石を思い切り振り下ろしている。これは、彼女が母親にしてほしかったことだ。自分のことを愛してほしかった。それができなかったつぐないとして殺してほしい。"あの頃の母と子の時間は二度と戻らないし手に入れられない"から、生命そのものを憂いているのだ。

わざと犬を泥で汚して井戸に落ちていたと嘘をついたのも、犬についた泥を落としてあげたかったから。自分の泥も、母の泥も。この場合の泥とは虚飾のこと。

メリーゴーランドでキアラが突然いなくなるシーン。焦ったアナベルはキアラを探す。ここでアナベルは、初めて娘の気持ちが理解できたのかもしれない。同時に生まれる贖罪の念。

シーンの切り替えごとにフィルムをセットするかのような音が鳴る。まるでホームビデオを撮影しているかのように、10日間だけ家族に戻ったみたいに。
もしかすると、カメラのシャッター音かもしれない。

心が張り裂けそうな哀しみと、魂が茹であがってしまいそうな怒り。そして愛情への希求。灰皿(だっけ?)をアナベルに投げつけるシーンでは、それらが全て爆発する。ここら辺はもう見てられないほど辛い。キアラの辛さも痛いほど伝わってくる。

コースターに乗ってるときの二人の表情の対比よ。これすごい。後ろに乗るアナベルは心底嬉しそうに笑ってて、前に乗るキアラは心の底から泣いている。アナベルはキアラの子供の頃を思い出して笑って、キアラは自分の子供の頃を思い出して泣いている。
なんて綺麗なんだろう。なんて綺麗で、やるせないんだろう。許せないのに愛してる。愛してるから許せない。もしくは、許せないから愛してる。

このように、この映画には登場人物の心境を陰影やさりげない仕草といった、流れる映像を頭で解釈しなければ分からない暗喩を使って表現している場面が多い。非常に文学的かつ詩的で、美しい。そして切なく、行き場のない燃えるような感情を隠す主人公の姿を延々と見せつけられる。
そしてラストシーン。初めて母子になった二人。これ以上の結末はない。完璧。アナベルの贖罪はキアラにとっての救い。唯一の、初めての、最後の。
シャチ状球体

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