アラサーちゃん

永遠に僕のもののアラサーちゃんのレビュー・感想・評価

永遠に僕のもの(2018年製作の映画)
3.8
1971年のブエノスアイレス。女の子みたいに美しい容貌の、ひとりの少年。彼は避暑地の夏の風景みたいに爽やかさを振りまきながら、信じきれないような穢れをその軽やかな清爽の下に隠し持っている。母親にも、父親にも、ガールフレンドにも見せない醜悪さ。狂気。変態。暴虐性。
それが、突然ステージの幕が上がったかのように彼の独壇場としてスクリーンのなかでこれでもかと暴れ出したときに、わたしたちは思わず息を飲んでしまう。はっとしてしまう。唇の妖艶さに。表情のあどけなさに。行為のむごさに。そのすべてが綺麗に調和したときの、あまりのその美しさに。


彼が何かしようとする根源は、常に至って単純明快だ。わかりやすい。ほしいから手に入れる。思い通りにならなければ拗ねる。悔しいから相手を困らせようとする。喜んでほしくて何かをプレゼントする。
彼の考えは全くすれていない。心の年齢で言えばまだまだ幼いのに、その美しい妖艶さとその行為の残虐性にひどくギャップを感じる。彼はいったい何者なのかと恐ろしいほどの関心を向けてしまう。心が持って行かれる。単純に惹かれる。彼は、まるで麻薬みたいな少年だ。

だから波打つように物語のなかに大きく広がってゆく彼の残忍行為や感情の揺れには、こちらもつい目が離せなくなった。
犯罪とは、不道徳とは、いったいなんだろうと自分に問いたくなる。それほど彼の犯罪行為は芸術で美しかった。花に舞う蝶のように可憐にものを盗み出し、夜風に揺れる移り気な柳のようにしなやかに人を殺す。彼はまるで童話に出てくる主人公の如く好奇心旺盛で、無垢で清らかな心を胸に秘めながら、厭らしく舌なめずりをして主人公を待ちわびる狼の如く欲望に忠実に犯罪に手を染めていく。

彼の欲望っていったい何だろう。

永遠に僕のもの。珍しく邦題がよい。永遠に僕のもの。それは盗み出した金品や報酬か、残虐な芸術を見せつけるステージか。愛する人たちからじぶんに向けられる無償の愛なのか、滲んで皺くちゃになっていった、唯一無二な想い出たちのことなのか。

彼のいたいけな姿を目にしていても、わたしのなかに芽生えるのは胸を痛め、道を正してあげたいという庇護欲ではなかった。この見事で華麗なステージを一秒でも長く眺めていたいという欲求。それだけだ。
まるで懇願するようにその欲求に絡め取られ、とらわれて、もはや逃げ出せなくなってしまう。彼は、まるで麻薬みたいな少年だ。

ひとつひとつのエピソードが幾重にも色を塗り重ねた絵画みたいに完成された作品だったし、オルゴールの上で踊っているバレリーナみたいに可憐で繊細でもあった。奇妙な色に縁どられたフィックスの画面のなかで綺麗な目を真っ直ぐに一心不乱に踊りだす彼が、目に焼き付いてもうなかなか離れてくれない。