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THE GUILTY/ギルティのLCのレビュー・感想・評価

THE GUILTY/ギルティ(2018年製作の映画)
3.9
面白かった。

緊急通報指令室で働く主人公が、ある日1本の電話を受ける。そこから始まる物語。

耳に届く情報を頼りに進んでいくので、カメラが緊急通報指令室から出ることはない。その為、観客も主人公と同じ条件で状況把握をしていくことになり、自然と会話内容に意識を集中させることになる。
緊張感が高いけれど、作品は短時間なので、見終わりには程よい疲れが残る、そんな塩梅。

主人公は正義感が強く、その為に「一歩引いて物事を見直す」ことが苦手なんだろうと思う。
助けなければ。その使命感で奮闘するものの、周囲との温度差がハッキリと描かれていき、遂には暗い部屋に1人になって1つの事件に集中しようとする。
状況が明るくなってきて、最初に電話をくれた人とも話すことができて、主人公は自分の中にその人と共有できるものがあると気付くんだね。それはたぶん、主人公にとっては衝撃的な、通常なら受け入れることの難しいものだったろうけれど、最後に彼は部屋を出て行くことができる。その先に待つ明日へと進んでいく。

「(加害事実のある)お前に同情しろと言うのか」っていう台詞が出てくるけれど、同情する必要はないんだよね、それはそう。でも、丁寧に事情を聞く姿勢は、多くの場面で必要だ。
聞く姿勢を示さずに「お前が完全に悪い」という考えを示してくる人に、話せる事情なんて1つもないんだよね。話しても聞いてくれないんだから。その積み重ねの先に主人公も居て、全く同じ対応をしたということだよね。
そして、解決までに大変な遠回りをすることになる。電話をしてきたその瞬間まで、彼らもみんな不安定な日々をそれぞれに孤軍奮闘するしかなかった。誰も助けてくれないことがわかったから。
同情する為じゃなくて、「解決策、改善策の模索」の為に、聞き取りは欠かせない。
それは「弟がいる部屋に入るなと言われている」少女に対して、「いいよ、弟と一緒にいなよ」と簡単に指示できてしまうところからも明確に窺える。そこで嫌な予感を抱けない。
100%悪い人がいる、という考え方で、更にはその悪い人が誰であるか即断即決することの危うさ。自分の考えや行いを脳が自動的に正当化する機能(人なら必ず持っているもの)の威力。自分が掴んでいる情報を鵜呑みにすることの弊害。

それでも向き合う姿勢を見せれば、相手も向き合ってくれるし、評価もしてくれる。
私にもヘビが見えることってあるかもしれない。その時、どんな思考をするだろう。
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